リナリア


「覚えてろよ!このアマ!」
使い古されたアレンジも何もない捨て台詞を投げつけて、見るからに素行が良さそうでない男二人が逃げていく。
それを見送ることなく土方は傍らにいる女生徒に向けて「大丈夫か?」と声をかけた。
「は、はい。助かりました」
「この辺は人通りも少ないから気をつけろよ」
「はい。ありがとうございます!」
大きく頭を下げて走り去っていった彼女のスカートの裾がヒラヒラと揺れるのを見つめつつ、土方は一つため息をつく。
学校は違えど、彼女が身に付けている制服と土方自身が身に付けている制服に大きな差はない。
それでも似合う似合わないはあるはずだ。
土方は女であっても自分にはスカートは似合わないという自信がある。
身長だって170センチ近くもあるし、なにより女らしさのかけらも身に付いていない。
幼馴染みの薦めで髪だけは伸ばしているものの、あまり意味がない気がした。
現に校内ではオトコ女と揶揄されるほどだ。
それもこれも風紀委員という仕事について以来、校則破りや風紀を乱す行為をする者たちに注意や時には実力行使を伴ってやめさせているせいかもしれない。
それでも規律に厳しいながら筋の通ったことしかしない土方は教師たちはもちろんのこと、女生徒たちにも一定の評価がある。
女生徒たちの中には礼と称して実習で作ったクッキーなどを綺麗にラッピングして土方に差し入れてくることもあり、土方を揶揄する男どもにはそのやっかみも含まれているのだろう。
そのため他人からどう言われようと気にはならない土方だったが、自分にスカートは似合わないという気持ちとスカートよりズボンの方が動きやすいという理由から制服を身に付けることに少しの抵抗がある。
しかし風紀委員自ら校則を破って制服以外のものを身に付けるわけにはいかず、しぶしぶスカートを穿いているのだ。
「ったく。女生徒はスカートって決めたのはどこのどいつだ」
ふと沸いた不満を口にしながら自宅へ向けて歩き出した土方だったが、ふと足首に痛みを感じた。
そして今日の体育の授業でくじいたことを思い出し、先ほど女生徒に絡んでいた男を一本背負いしたせいで悪化したのだと悟り大きく舌打ちをする。
歩けないほどではないが、足を動かす度に鈍痛がするため、家に帰りつくまでには相当な時間がかかりそうだった。
仕方なく足に負担がかからないようにひょこひょこと歩いていると、背後から「土方?」と自分を呼ぶ声がした。
これが同じ風紀委員の近藤や山崎であればちょうどよかったと手を借りているところであるが、耳に入ってきた声は明らかに違う。
どちらかというと関わりたくない部類に入る声だ。
そのため聞こえなかったふりをしてゆっくりと足を進めてみたが、背後の人物がそれを許すわけもなく「無視してんじゃねぇ」と襟首を指で引っ張られた。
「触るんじゃねぇよ!高杉!」
振り返ってそう怒鳴り付けると、眼帯をつけていない側の目を楽しそうに細めた男が立っていた。
男の名は高杉といい、土方たち風紀委員も手を焼く不良の一人だ。
高杉は群れることも暴れることもしないのだが、授業には出ない、バイクで登校する、制服を正しく着ない、など校則違反をいくつかしているが、自分のルールで生きているらしく、何度土方が強く注意しようと右から左へ聞き流されているのがアリアリとしていた。
「風紀の指導中じゃねぇんだ。タメ口呼び捨ては失礼だろ?ちゃんと敬語で先輩ってつけて話せよ」
口の端をあげて土方の話し方を指摘する様は、あからさまに面白いものを見つけたとでも言いたげだった。
言われたまま直すのも癪だった土方は無言で高杉が指先で引っかけていた制服の襟元を身体を引いて離させる。
その拍子に痛めている足に負荷がかかり、痛みを感じた土方は小さく顔を歪めた。
「なんだ。足痛めてんのか?」
「あんたには関係ない」
「手ぇ貸してやろうか?」
そう言って高杉から差し伸べられた手を土方は「余計なお世話だ」と叩き、止めていた足をゆっくりと動かす。
少しずつ進んではいるものの、背後の高杉がいまだ立ち去らず「ミミズみてぇなスピードだな」と笑って来たため、それに反論するため振り返ろうとした途端、土方の腕が掴まれそのまま高杉の肩へと回された。
「なっ!手を貸せなんて言ってねぇだろ!?」
「うっせぇな。ぐだぐだぬかすと姫抱きして運ぶぞ」
そう言う高杉に腰を支えられ、土方は軽く持ち上げられスカートとともに太ももの裏に手を添えられたかと思うと、高杉はそのまま歩き出してしまった。
「ちょ、下ろせ!手ぇ借りる!ちゃんと借りるから下ろせ!」
抱えられた恥ずかしさのあまり、土方がそう叫ぶと高杉は「初めから素直にそう言やぁいいんだよ」と土方を地に下ろし、肩で土方の体重を支えながら土方の歩調に合わせて歩き出した。
そのことに土方はホッとする。
世に言うお姫様抱っこなんぞをされたことが誰かに、特に悪魔の申し子とも言える幼馴染みにでもバレたらろくでもないことになりかねない。
写真を撮られ、校内に貼り付けられ、拡声器を使って吹聴しまくるに違いないのだ。
恐ろしいと身を震わせたあと、土方はそっと隣の高杉を盗み見る。
高杉は校内きって不良として有名ではあるが、女生徒の中にはこっそりと憧れている者も多く、ファンクラブなるものもあるらしい。
眼帯をしているが、それを差し引いても高杉は整った顔立ちをしているし、授業に出ないくせに成績は常に上位をキープしている。
そんなところが人気を集めるのだろう。
土方自身も指導の対象者としては言うことを聞かない気に入らない男ではあるものの、高杉の人間性は嫌いではない。
高杉にとって土方は口うるさい風紀委員の女でしかないはずなのに、足を痛めていると知るや否や迷うことなく手を差し伸べてくれた。
なんだかんだ言って優しいところもあるのだ。
そう思いつつ高杉を見つめていると、不意に高杉が土方へと視線を向けてくる。
土方が無言で凝視していたことを不審に思ったのか「なんだよ」と怪訝そうな表情を浮かべていた。
土方はとっさに「何でもない」と首を振り、高杉から視線をそらしたが、なぜか心臓がバクバクと激しく音を立てている。
「おい、こっちでいいのか?」
高杉の問いかけに土方は高鳴り続けている鼓動にあわてふためきながら「何が?」と問い返す。
「何ってお前の家だよ。こっちの道で合ってんのかよ」
土方がぎこちなく頷いたのを確認した高杉は再び無言で歩き始めたが、通いなれたこの道がこれほど長く感じたのは初めてだった。
そのせいかいつもは憎たらしいはずの声が聞こえた瞬間、思わずホッと息を吐いてしまった。
「あれ?土方さん?何してんでぃ、こんなとこで」
「総悟」
安堵の吐息とともに幼馴染みである沖田総悟の名を呼び、高杉の肩へと回していた腕を離す。
その様子を沖田は興味津々といった顔で土方と高杉の顔を見比べ、土方の足元に目をやり納得したように「あぁ」と声を漏らした。
「だからちゃんと治療しろって言ったんでさぁ。すいませんねぃ、高杉先輩。うちの土方さんがえれぇご迷惑かけたみてぇで」
沖田にそう言われた高杉は「ホントにな」と言葉を返し、土方を支えていた肩を動かし首を捻った。
「で?なんか俺に言うことはねぇのか?土方」
笑みをたたえつつ、わざわざといった感じで尋ねてきた高杉に、先程の動悸がまたもや起き始める予感がした土方は顔を背けつつ「世話に、なったな」とだけ返す。
高杉は「可愛くねぇな」と小さく笑い、土方に背を向けひらひらと手を振って去っていき、土方がそれを見送っていると隣に立つ沖田から「帰りやすぜ」と声がかかった。
それに頷きつつも土方はどうしても高杉から目を離すことができず、最終的には沖田に捻挫している足を蹴られる羽目になり、それを怒鳴り付けながら家路へとついた。

沖田の手を借りて土方が家まで帰りつくと、自宅にはまだ誰も帰っていなかった。
土方の両親は共働きであるため当然だ。
居間まで土方を運んでくれた沖田は「ちょっと待ってなせぇ」と声をかけて家を出ていったが、土方の家の隣がすぐに沖田の家なので、一度家に帰ったのだろうと土方は言われたようにそのまま待つことにする。
すると、沖田は一人ではなく姉の沖田みつばまで伴って戻ってきた。
そのことに土方が驚いていると、みつばは「十四さん、足を怪我したって本当?」と薬箱を手に持って駆け寄ってくる。
「え、あぁ。うん。ただの捻挫だ」
「ダメよ。ただの捻挫でも悪化すると治りにくくなるんですからね」
みつばは土方より6つ年上なだけだが、両親が共働きで留守がちの土方は幼い頃から沖田とともにみつばの世話になっていたため頭が上がらない。
土方に髪を伸ばしてみろと勧めたのもこのみつばだ。
これが母親や親戚の叔母たちに女らしく髪を伸ばせと言われても絶対伸ばす気にはならなかったが、みつばに「十四さんの黒髪はすごい綺麗だから伸ばすといいのに」と邪気のない笑みで言われ、伸ばし始めた。
そう言われたのが中学に入る頃だったので、伸ばし始めてもう5年ほどになる。
「ほら見せてみて」
まるで子供に向けるように促してくるみつばに土方は苦笑しつつ足を出す。
白い靴下を少し下げるとくるぶしが真っ赤に腫れあがっていた。
「おやまぁ。こりゃ酷ぇですね」
「十四さんたら!またすぐに治療しなかったわね?」
「そうなんですぜ。俺はちゃんと治療した方がいいって言ったんですけど、これぐらい大丈夫だって言い張ったんでさぁ」
「もうやっぱり!」
告げ口をするようにツラツラと話す沖田を睨み付けた土方だったが、傍らのみつばに「十四さん!」とたしなめられる。
「いや、捻った直後はなんともなくて、帰り道で」
ナンパしてる男を投げ飛ばした。
素直にそう言葉にしようとして口をつぐむ。
以前、みつばから危ないことはしないでと言われたことを思い出したからだ。
「どうせまた人助けとかして怪我を悪化させたんですぜ。この人ぁ」
「見てたのか!?」
的確に先ほどのことを言い当てた沖田に驚いてそう尋ねれば、「ほらみなせぇ」と笑われた。
どうやらあてずっぽうで言ってみただけのようだ。
土方が悔しそうに小さく舌打ちをすると、みつばから「十四さん」と呼び掛けられる。
そちらに目を向けると、顔を曇らせあからさまに心配だという表情を浮かべていた。
「十四さんの正義感が強いところとか、とても尊敬するわ。でも十四さんでも敵わない相手かもしれないでしょ?それなのに後先考えず立ち向かったらダメよ。今日は特に怪我をしてたんだし」
「あーうん」
決まりが悪く視線をはずして前髪を弄っていると、沖田が「今日は大丈夫だと思いますよ、姉上」と口調はみつば用の丁寧なものだったが、表情は土方に向けた憎たらしい笑みをしていた。
「あら、どうして?」
「今日は騎士が近くにいたようでしてね。帰りも俺が見つけるまではその人に手を借りてたみたいです」
土方はすかさず「誰だよ騎士って!」と叫ぶが、みつばは土方よりも沖田の言葉に興味を引いたらしく「そうなの?」と首を傾げた。
「えぇ。土方さんたら熱い目でそいつを見つめちまって、連れ帰るのが大変だったんです」
「総悟!!テキトーなこと言うな!」
「おやおやぁ?なんか顔赤いですぜ?土方さん」
ニヤニヤとたちの悪い笑みを浮かべる沖田がそう指摘してくる。
土方にもかすかに自身の頬が火照っている自覚はあったが、あえて「どうせまた引っかけなんだろ!」と顔を背けた。
「あら本当に赤いわよ?十四さん」
「ほらみなせぇ」
みつばという強い味方をつけた沖田は勝ち誇ったような笑みを浮かべたあと、からかうような口調で「惚れちまったんですかぃ」と頬をつついてくる。
「んなわけねぇだろ!?」
「またまたぁ」
「大体、俺に恋愛なんて」
似合わない。
そう続けようとしたが、それを口にするまえに「十四さん」と少し強い口調でみつばに呼ばれる。
そちらに目をやれば、口調と同じく強い眼差しが土方に注がれていた。
「また似合わないなんて言おうとしてるでしょ?そういう決めつけは良くないって言ったじゃない。十四さんはちゃんと女の子なんだから。自信を持って!!」
にこりと笑ってみつばはそう言うと、土方の手を軽く握ってきた。
柔らかくて優しい手をしたみつば。
自分の剣道豆ができた手とはまるで違う。
おしとやかで優しいみつばのような女であったら、自分も自信を持てたかもしれない。
土方はみつばの隣に並ぶ度にそう思う。
自分のようにガサツで男勝りで勝ち気な性格では女の子には好かれても男には好かれない。
よくわかっていた。
土方が卑屈な気持ちでハサミや湿布をしまうみつばを見つめていると、突然、背後から一つ結びにした髪を引っ張られた。
軽く頭を押さえつつ引っ張った張本人である沖田を睨み付ける。
「土方のくせに姉上をジロジロみるんじゃねぇやい」
「そりゃ悪かったな」
相変わらずシスコンな奴だなとうろんげに沖田をみやっているとじっと見つめ返された。
「なんだよ」
「姉上ほどじゃねぇですが、土方さんも美人系だと思いやすぜ。まぁ口も悪いし態度でかいし可愛げもへったくれもねぇですけど」
にこりと天使のように愛くるしい笑みを浮かべた沖田は見るからに美少年という言葉が似合うが、口に出された言葉のほとんどに毒を感じた。
「褒めてんのか?貶してんのか?」
「大半は貶してまさぁ」
満面の笑みを消し真顔でさらりと言いのけた沖田を一発殴ってやろうと腕を振り上げた土方だったが、沖田にひらりとかわされる。
その際にあからさまに赤い舌を出してきた沖田に更に苛立ちを増し、何度も腕を振り下ろすが足を動かさないようにしているため、全くかすりもしない。
すると土方と沖田を見つめていたみつばが「総ちゃんも素直じゃないんだから」と小さく笑った。

※※※

土方に手を貸してやった翌朝、登校してきた高杉はふと校門前で行われている風紀検査に土方の姿がないことに気づいた。
思わず怪訝な顔をしていたのだろう。
土方と同じく風紀委員である沖田が「土方さんならいやせんよ」と高杉に声をかけてくる。
「風邪でも引いたのか?」
「いや学校には来てますがねぃ。足が思った以上に悪いんで委員長の判断で風紀検査の立ち会いは辞めさせたんでさぁ」
沖田はそういいつつ高杉の前にいる生徒の鞄をざっと一瞥して、中へと通すと高杉へと視線を向けてニヤリと笑う。
「うるせぇ奴がいなくてせいせいしやしたかぃ?」
沖田はそう言って高杉の制服の崩れなど一切指摘せず中へと通した。
ほとんどなにも入っていない鞄を肩で持ちながら高杉は少し物足りない思いで校舎へと入る。
沖田の言うように土方は確かに煩くて面倒な女だ。
校内でも不良と恐れられている高杉にも臆すことなく、授業に出ろ、制服をちゃんと着ろと怒鳴り付けてくる。
高杉は気が向いた時にしか朝から登校しないのだから、あえて風紀委員の検査の日をはずして登校すればいいのだが、何となく土方のやかましい怒鳴り声が朝の学校という認識がある気がした。
おかしなものだと思いつつ高杉は教室へと向かう。
最上級生である高杉のクラスは三階にあり、高杉はいつも教室に荷物を置いてから屋上へ向かっている。
今日もそうしようと教室へ入って席に荷物を置くと、前に座っていた同級生の坂本が挨拶をしてきた。
それに適当に返事をしつつ坂本の隣を見ると銀時が手鏡を覗いてふわふわと飛び散った髪を整えている。
「いくら手をかけてもそれは直らねぇぞ。くそ天パ」
「あぁ!?朝一番に言うことがそれかよ!おはようございますぐらい言えよ!」
手鏡から視線を高杉へと向けてきた銀時を無視して携帯電話を確認し始めた高杉に坂本が「男心は複雑じゃきぃ」と笑った。
繋がりのよく分からない言葉を吐いた坂本に視線を向けつつ「男心?」と聞き返す。
「さっき廊下で土方に頭を撫でられたんじゃぁ」
坂本の口から出た名前に高杉は意味もなくドキリとした。
「あれは撫でられたって言わねぇよ!ぐしゃぐしゃにされたんだ!相変わらずふざけた頭だなって!」
「といいつつ嬉しそうにしちょると思ったきに?」
「いやぁ、笑う顔が可愛くてさぁ」
「確かにのぅ」
にやけた顔をする銀時や頷いている坂本をみつつ、高杉は心の中で首をかしげる。
土方の笑顔など自分は見たことがあっただろうか。
高杉の前での土方はたいてい怒っている。
風紀委員の指導中だから仕方がないかもしれないが、昨日は帰り道で偶然見かけただけだというのに怒っていた。
「うっわ!何お前!」
「どうしたんじゃぁ、ヅラぁ!」
銀時と坂本の声にハッとして、教室の出入り口へと目をやれば、桂が立っていた。
いつもと同じ制服で背後に白いシーツを被ったような生き物をつれていることに変わりはない。
しかし、男にしては長い桂の黒髪がしっかりと左右で三つ編みに作り上げられていた。
憮然としている桂を指差しながら銀時と坂本は腹を抱えて笑っている。
「どうもこうも、風紀委員の土方にやられたのだ」
「え!?マジで!?」
「あぁ。男子は肩にかからない長さにしろと指摘されたから差別はよくないと反論したらこの様だ。嫌がらせにもほどがある」
不満そうに口を尖らせた桂に背後の白い生き物が「似合いますよ」とフリップ出した。
銀時や坂本も同意を示して笑っていたが、高杉は納得できない気持ちで彼らに「お前ら、土方と仲いいのか?」と問いかける。
高杉の問いに銀時や坂本、桂までも不思議そうに首を傾げて高杉を見返してきた。
「いや、普通っしょ」
「わしも通りすがりに一言二言話す程度じゃきぃ」
「まぁそうだな。髪のことを言われるのは億劫だが、それ以外は気さくな奴だしな」
三者三様に言葉を返してきた彼らに、高杉は「そうじゃねぇよ」と軽く眉をひそめる。
「俺ぁあいつが笑ってるとこなんて見たことねぇぞ」
「お前は不良の代表みたいな奴だからな。土方も怒らざるをえないのだろう。俺のこの三つ編みも笑いながら編んでいたぞ?」
桂はそう言いながら左右の三つ編みをつまんで高杉に見せる。
それに一瞬だけ視線を向けた高杉はなにも言わずに彼らに背を向けた。
「今日も屋上に行くきに?」
坂本の問いかけに「あぁ」とだけ返して振り返ることなく扉に手をかけて廊下に出ると、後輩の来島また子が駆け寄ってきた。
また子は今年入学してきた1年生だが、高杉に憧れていると公言し、今では高杉が屋上へ行くのを教室の前で待つほどだ。
また子の他に隣のクラスの河上万斉や武市変平太も屋上によく顔を出すが、彼らとも特に何か約束があるわけではない。
そもそも屋上で眠るのを目的としている高杉にとっては周りに誰がいようとどうでもいいのだ。
そのため背後をついてくるまた子に声をかけることなくそのまま屋上へと向かう。
屋上へと繋がる階段下へとついたとき、反対側の廊下から土方が歩いてくるのが見えた。
あちらも高杉に気がついたらしく、表情が少し驚いたものへと変わる。
「よう、土方。足まだ悪いんだってな」
そう声をかけると土方は戸惑いがちに「あぁ、まぁな」とだけ返事をし、ちらりと高杉の背後へと目をやり高杉へと戻す。
「あんたはまたサボりか。よく留年しねぇな」
高杉がそれに言葉を返す前に背後にいたまた子が「知らないんスか!?」と身を乗り出してきた。
「晋助様は成績優秀なんスよ!そんなことも知らないのに気安く晋助様と話してほしくないっス!!」
そう土方に言いきるとまた子は高杉を守るかのように仁王立ちをし、それと対峙した土方は「そりゃ悪かったな」と顔を歪めてまた子の脇を通り高杉には目もくれず歩いていく。
「晋助様!煩い風紀委員はこの来島また子が追い払ったっスよ!屋上に行きましょう!」
嬉しそうな表情で力強く言うまた子に「あぁ」と返事をしつつも、高杉の視線は去っていった土方の背中を追っていた。
また子に言葉を返され顔を歪めた土方だったが、不快を示すというよりどこか悲しげに見えた気がしたのだ。
また子に腕を引かれるように屋上へと上がり、また子が最近力をつけている不良高校について話しかけて来ていたが、それすらもほとんど聞き流し続ける。
普段であれば興味のない話の時は勝手に寝始める高杉だったが、今日は寝る気にもなれず金網に身を預けつつ遠くへと視線を向けた。
そうしていると屋上に万斉と武市が来た気配を感じたが、そちらに顔を向ける気にも話しかける気にもならず、ただ金網越しに見える校舎に向けてあてもなく視線を送る。
「晋助はどうしたでござる?」
「わかんないっス。さっきからずっとこんなで…」
背後でそう話す万斉とまた子の声が聞こえてきたが、高杉は目線の先にあった教室から土方が出てきたことに気づき、意識をそちらに集中させる。
土方の手に筆箱や教科書があるため、1限目は移動教室のようだ。
その土方の傍らに地味な男が近寄り手を差し出した。
かすかに首を傾げた土方だったが、相手から何事かを言われて小さく笑うと、その男に荷物を手渡す。
どうやら持ってやると言われたらしい。
捻挫をして歩きにくい思いをしている土方への配慮なのかもしれない。
土方が男と二人で歩く姿を見つめていると、突然土方が足を止めて振り返った。
土方の後ろから見覚えのある男が土方に向かって駆け寄るのが見える。
朝、校門前で沖田とともに風紀指導をしていた近藤だった。
近藤は土方と同じ風紀委員であり、しかも委員長であるが、細かい事務仕事や委員たちへの仕事の割り振りなどは土方が行っていると聞いたことがある。
今も土方に何か報告することがあったらしく、手にした紙切れを土方に見せていた。
その後、近藤は大きく頷き納得した様子を見せたあと首を傾げる。
それに対して土方が何かを言うとニコリと満面の笑みを浮かべて自身の腕を土方に差し出す仕草をみせた。
掴まれとでも言っているのだろう。
すると土方は一瞬だけ驚いた顔をしてみせ、すぐにふわりと優しげに微笑み近藤の腕をとった。
昨日の帰り道、高杉が今の近藤と同じように手を貸してやろうと土方に声をかけた時、大きなお世話だと土方は高杉の手を叩き落としたはずだ。
敵の手は借りないという意思表示なのかもしれないが、躊躇いもせず笑みまで浮かべて近藤の腕をとった土方の姿に、高杉は何となく腹立たしい気持ちが胸を渦巻く。
ぼんやりとみつめていたはずの風景を土方が歩く方向に焦点を当てて睨み付ける。
高杉の心情が周りにも伝わったのか、また子が躊躇いがちに声をかけてきた。
「ど、どうしたんスか?晋助様」
「なんでもねぇよ」
高杉が一言そう返すと、また子は高杉の傍らへと近づき、高杉と同じように校舎がある方に顔を向けた。
その視線の先に土方を見つけたのか、また子が「あ、さっきの」と口からこぼしたため、高杉がちらりとまた子をみやると、また子はそのまま口を閉ざして離れていく。
高杉自身が思っている以上に不機嫌な顔をしていたのかもしれない。
土方の何がこんなに自分をイラつかせるか高杉には解りかねたが、それでも近藤に向けて笑った土方の顔が頭から離れなかった。

※※※

科学室から教室へと戻る途中、土方の前に金髪の女が立ちはだかる。
今朝、高杉と一緒にいた女だった。
確か熱心な高杉ファンで名前を来島また子といったはずだ。
金色の髪が校則違反だと何度か注意した覚えがあるが、このように行く手を遮られるほど何かをした覚えはない。
そう思いつつ土方がまた子を見返していると「ちょっと話があるっス」と嫌そうな顔をして声をかけられる。
嫌なら話しかけなければいいのにと内心で首を傾げながら「俺に?」と問い返すとまた子は大きく頷いた。
「土方さん。授業始まっちゃいますよ」
隣にいたクラスメートの山崎にそう声をかけられたため、また子に「昼休みでもいいか?」と尋ねると、話しかけてきた時以上に不満そうな顔をしつつも「仕方ないっスね」と了承を示す言葉を告げてきた。
「昼休みに体育館裏で待ってるス。絶対来るっスよ!!」
そう念を押して去っていったまた子を土方は何とも言えない気持ちで目で追う。
「土方さん?」
「いや、何でもねぇ」
心配そうに自分を見上げる山崎に笑みを返し、土方は教室へと入って次の授業の用意を始めた。
教科書を並べている内に教師が訪れ、静かに授業が開始されたが、土方は文字が書かれていく黒板を見つめつつ、また子の話とはなんだろうかと頬杖をつく。
今朝方、彼女はきっぱりと高杉に話しかけるなと土方に告げてきた。
まるで高杉は自分の物だと誇示するかのような姿だったなと土方は小さく吐息をこぼす。
高杉の前に立ったまた子はとても華奢で高杉と並ぶ姿もとてもお似合いだった。
昨日、みつばから自分を否定するなと言われたばかりではあったが、土方にはどうしても自分に自信が持てない。
どうやっても自分では高杉の隣には似合わないのだ。
似合う似合わないを考えている時点で高杉に惹かれている証拠なのだろうが、土方にとって高杉への気持ちは惹かれているかもしれないという曖昧な気持ちだった。
これ以上思いを募らせる前にまた子と話すのは自分にとってもいいことなのかもしれない。
高杉の傍らにはちゃんとお似合いのまた子がいるのだと自分に戒めるためにも。
何度もそう言い聞かせてはみるものの、刻一刻と昼休みへと近づくにつれ、どんどん憂鬱になってくる。
土方の行きたくないという気持ちが顔に出ていたのか、昼休み教室を出ていこうとする土方に山崎が「大丈夫ですか」と尋ねてきた。
山崎は同じ風紀委員でもあるのだから毅然としていなくては、と土方は「大丈夫だ」と笑みを返すが、それでも山崎がしつこく食い下がってきたため、その頭を一度殴った後、一つ大きく息を吐いて足早に体育館裏へと向かう。
指定された場所に到着するとまた子がもう来ていて「遅いっス!」と頬を膨らませていた。
そんな仕草もどこか女の子らしい可愛さがあり、土方はかすかに胸が痛むのを感じつつ「悪い」と素直に言葉を返す。
すると土方からの謝罪が意外だったのかまた子は少し目を見開いて驚きを顔で示した後、「まぁ呼び出したのはこっちっスから」と腕組みをしていた腕を離した。
「それで?話ってなんだ?」
土方がそう尋ねるとまた子が「あんた晋助さまの何なんスか」と口を尖らせた。
また子の表情から不満そうだということは伝わってきたが、何を聞かれているのか土方には見当がつかず首を傾げる。
「何って、別になんの関係もないだろ?風紀委員として指導したことがあるだけだ」
「ほんとっスか?」
「あぁ。なんでそんなこと聞くんだよ」
「晋助様、あんたのことみて機嫌悪くなったっス。私らを屋上から追い出すなんて相当っスよ」
また子が不満げにそう言ってきた台詞が土方の胸にずしりと重くのし掛かる。
自分を見て不機嫌になるほど高杉に嫌われている。
そう言われた気がした。
土方は風紀委員であるため高杉にいい印象は抱かれていないと思ってはいたが、それほど嫌われているとは知らなかった。
そこまで嫌いなはずなのに昨日は自分に手を貸してくれたのかと高杉のことを思っていると、また子が「ちょっと」と声をかけてくる。
考え事に意識をとられていたせいでまた子の存在を忘れかけていた土方は身体をビクリと跳ねさせてまた子に視線を向けた。
また子は怪訝そうにこちらを見返しており、そんなに長いこと意識を飛ばしていただろうかと土方は少し焦りつつ「何だ?」と問いかける。
「いや、あんたもしかして、晋助様のこと好きなんスか?」
「え!?」
「え?じゃないっス。あんた自分が今どんな顔してたか解ってるっスか?今にも泣きそうな顔だったっスよ」
そう指摘された土方は慌てて「気のせいだろ!」と自身の頬をパタパタと叩く。
「今さら遅いっス」
また子はそういうとスカートのポケットから携帯電話を取り出してなにかしら操作を始める。
「ケー番教えるからケータイ貸すっス」
そう言って手のひらを広げてきたまた子に土方は戸惑いつつ「え?でも俺のケータイ、教室なんだけど」と言葉を返すと、「ケータイは携帯しなきゃ意味ないんスよ!?」とあり得ないとでも言いたげな顔をされた。
土方はそんなまた子の表情よりもなぜ今携帯電話の話になるのかの方が気にかかった。
「何で携帯の番号を?朝は話しかけるなって言ってたよな?」
「風紀委員は私らの敵っスけど、晋助様を好きなら仲間っス」
高杉を好きなら仲間。
そう断言するまた子に土方は首を傾げる。
「お前って高杉の彼女じゃないのか?」
その問いかけに「あり得ないっスよ!」と返したまた子の表情は携帯電話を手元に持っていないと言ったとき以上の顔つきだった。
「晋助様は憧れの人っスけど、彼氏にはしたくないっス。色々と性格的に面倒というか、あ、これ侮辱とかじゃないっスからね。おそれ多くて私には無理って意味っスから」
そう必死に言い募るまた子に土方は思わず笑いながら「俺なんかよりお前の方が可愛いし高杉には似合うと思うぜ?」と先ほどまで思っていたことを素直に口に出す。
また子がキョトリと不思議だと言わんばかりの表情でこちらを見つめており、土方はそれにつられて「どうした?」と首をかしげる。
「いや、俺なんかってどういう意味っス?」
「どういうってそのままの意味だけど?俺はよく可愛いげがないって言われるからな」
そう苦笑しつつまた子の問いに答えながら、そう言えば高杉にもはっきり可愛くないと言われたなと思い出す。
言われた時はあまり気にならなかったが、可愛らしいまた子を面前にそれを思い出すと今さらだと解っていても少し気持ちが沈んでしまう。
沈んだ気持ちを誤魔化すように視線を落としつつ風に揺れる髪を押さえようと手を伸ばすと、前から手が伸びてきた。
「え?ちょ、なんだよ」
「スカート長過ぎっス!あんた背ぇ高くて無駄に足長いんだからもったいないっスよ!」
また子が腰を掴んでスカートのウェスト部分を巻き始めたため、慌てて距離を取ろうとするがそれより先に「膝上5センチは校則の範囲内っス!」とまた子の手が腰から離れ、土方のブラウスを整えてくる。
校則の範囲内とはいえ、いつもよりずいぶんと短くなったスカートの裾に土方は落ち着かない気分で直そうと腰に手をやると「触っちゃダメっス!」と手を掴まれた。
「努力もしないくせに俺なんかって言うなっスよ」
そう言って頬を膨らませたまた子がとても可愛らしかったため、努力云々の話ではないのだとは言えず、小さく笑ってスカートを直そうとしていた手を離す。
土方が諦めたと思ったのか、また子は満足そうに笑みを浮かべて「ケータイ取りに行くっス」と土方の腕をとった。
いまだ携帯電話の番号を交換する気なのかと少し驚いたが、また子の笑みに反論する気も失せた土方は頷いて共に校舎へと戻る。
また子と共に教室へと戻る途中、高杉の同級生である坂本が「おぉ土方」と笑顔で声をかけてきた。
「綺麗な足がよぉ見えちゅうのぅ」
自分より背が高い坂本を見上げつつ、土方が「おかしくないか?」と尋ねると「よく似合っちゅう!」と満面の笑みを返され坂本の大きな手のひらで頭を撫でられた。
「ほらみろっス。礼を言ってくれてもいいっスよ」
傍らにいたまた子が何故か誇らしげに胸を張り、それに対して土方ではなく坂本「おぉ。ありがとうじゃぁ」と礼を述べた。
「あんたじゃないっスよ!!私は土方に言って欲しかったっス!!」
坂本に背伸びをして怒鳴るまた子に土方は思わず笑うが坂本の「おぉ、高杉ぃ」という声に身体を堅くする。
そして坂本が声をかけた背後を振り返ると、先ほどまた子が言っていたように眉根を中心へと寄せ不機嫌そうな顔をした高杉が目に入った。
また子もそれを察したのか、土方の傍らで幾分緊張した面もちで高杉を見つめている。
「おまん、昼飯はすんだか?ヅラと銀時が食堂に」
坂本は高杉の機嫌など全く意に介していないように明るく声をかけていたが、言葉の途中で高杉が坂本の腕を掴んだ。
その腕は土方の頭へと乗せられていたものだったため、土方が離れていく手のひらを目で追っていると、「土方、ちょっと面貸せ」と高杉から腕を引かれる。
「え?」
「いいから来い」
疑問を挟む前に高杉はもう歩きだしており、土方は慌ててそれに付いていこうとするが速度が早いせいで固定している足首に痛みが走る。
「ちょ、高杉」
「うっせぇ黙れ」
「違う、足が」
その言葉に高杉はようやく土方が足を痛めてると思い出したらしく、ぴたりと足を止めて土方を振り返る。
それに土方がホッとしたのもつかの間、高杉は土方の両脇に手を差し入れて土方の身体を肩へ担ぎ上げた。
「うわっ!何しやがる!」
「暴れると下着が見えるぞ。ん?お前ぇいつもより丈が短いんじゃねぇか?」
そのまま歩き出しながら太股に手を添える高杉に土方は驚きと羞恥で思わず言葉を失った。
土方がなにも言わないことをいいことに、高杉は二階分の階段を上がり屋上の扉を開けてその扉近くに土方を降ろす。
ようやく降ろされた土方が「なんのつもりだ!」と高杉に怒鳴り付けてやると、高杉からは一言「笑え」という言葉が返ってきた。
「はぁ?」
「銀時にもヅラにも坂本にも、来島にすら笑うくせになんで俺には笑わねぇ」
「突然、なに、言ってんだよ」
そう詰め寄ってくる高杉から顔を背けつつ、土方は勝手に高鳴る鼓動を抑えようと必死だった。
これ以上激しい動悸がしないように顔を逸らしたはずが、高杉に顎を掴まれたせいで高杉と正面から向かい合う形になってしまう。
「いいから笑え」
「そう、言われても。楽しくないのに笑えるわけねぇだろ」
「俺はもっと楽しくねぇ。てめぇ俺にはギャンギャン怒鳴るだけのくせに、何で他の野郎には気ぃよく笑いやがんだよ」
「それはお前が校則を」
守らないからと続くはずの言葉は高杉の口の中へと収まる。
唇に感じる柔らかい感触にすべての思考が取り除かれてしまった土方は石のように固まってしまった。
「不純異性交際。お前も校則破っちまったな。風紀委員」
耳元に笑いを含んだ口調でそう吹き込まれたことで土方の意識はようやく浮上し、自分に向けて覆い被さっていた高杉を突き飛ばして立ち上がる。
必死に先ほど感じた感触を拭おうと唇を手の甲で擦りながら突き飛ばされた衝撃で座り込んでいる高杉を睨みつけた。
「俺のことが嫌いだからって、こんなことすんじゃねぇよ!」
しつこく擦ったせいでじんわりとした痛みを感じる唇を噛みしめて高杉を睨むが、その瞳がうっすらと水の膜を帯びていくのを止められない。
「誰が嫌いなんて言った?」
立ち上がった高杉が近づいてきたため土方は思わず後ずさるが最初から壁と土方の身体に隙間がほとんどなかったせいですぐに背中に冷たいコンクリートを感じる。
「俺ぁ他人にゃ興味がねぇ。嫌いな人間ならなおさらだ。いちいち笑って欲しいなんざ思うわけねぇだろ?」
そう話す高杉を何も言えずに見つめているとゆっくりと高杉が腕を上げる。
その手の行き先がわからず身を固くする土方の頬に高杉の手のひらが添えられて上を向かせられる。
「好きだから笑ってほしい。そう言ってんのがわかんねぇのか?」
瞳をのぞき込むようにして言われた言葉に土方は喉が乾いていくのを感じる。
張り付いた喉が必死に紡いだのは「嘘だ」という台詞だった。
「嘘じゃねぇよ」
そう言いながら近づいてくる高杉の唇を土方は自身の手のひらで押さえる。
「嘘に決まってる!そうやって俺をからかって後で笑う気なんだろ!?」
そう叫ぶ最中も手のひらに高杉の唇を感じて手が震えてしまう。
悔しくて仕方がなかった。
詰め寄られてドキドキする胸も。
好きだと告げられて勝手に赤くなる顔も。
舞い上がって本当なんじゃないかと期待しそうになる自分自身も。
すべてこの場から消し去ってしまいたかった。
また子たちを屋上から追い出すぐらい土方を嫌いなはずの高杉がこんなことを言うはずがない。
疑いたくはなかったが、また子から土方が高杉を好きなのだと教えられたのだろうか。
それを知って高杉が何を思ったのかは知らないが、これが土方への嫌がらせであるならば土方にとってこれ以上にないダメージだ。
「あんたは、ホント最低だ…」
頬に添えられていた高杉の手を払い、高杉から手のひらを離した土方はその手で自身の顔を覆う。
先ほどは薄い膜だったはずのそれが、目の端から滴として落ち始めたのを感じた土方は高杉に見られないよう顔を俯かせる。
「そんなに俺が嫌ぇなのかよ」
俯いたせいで頭上から聞こえるようになった高杉の声に土方は唇を噛みしめる。
本当に嫌いならば殴り飛ばしてここから去ればすむ話だ。
こんな風に情けなく涙に濡れた顔を隠す必要もない。
自分の気持ちを知っているはずなのに確認してくる高杉に土方は苛立ちを感じた。
しかし苛立ち以上にどうしようもなく惹かれているのだ。
自分を捕らえる強い眼差しにも。
頬に添えられた男にしては綺麗な手にも。
身体を寄せた瞬間にふわりと香るタバコの匂いにすら高杉を感じて胸が高鳴る。
惹かれているかもしれないどころではない。
土方の感覚すべてが高杉を好きだと訴えていた。
自分の前に高杉がいるというだけで高鳴る鼓動を抑えることができない。
高杉はただ自分をからかって楽しんでいるだけなのに。
もういい加減、この状況と呼吸すらままならない動悸から解放して欲しかった。
そんな土方の心情が決して口にするつもりのなかった言葉を紡ぎ始める。
「好きなんだよ」
「あ?」
「俺はあんたが好きなんだ」
早くこの場から逃げたい一心で耐えきれず伝えた思いを高杉はどう捉えるのだろうか。
やはりなと自身を見下すように笑うかもしれない。
そう思うと怖くて顔を上げることができず固く目を閉じた。
「だったらなんで泣くんだよ」
顔を覆っていた手に高杉の手のひらが添えられ、反対側の頬にも高杉の手が添えられて親指の腹で涙を拭われる。
その優しげな感触に耐えきれずゆっくりと瞳を開いて顔を上げた土方だったが、そこに土方が思うような笑う高杉の姿はなかった。
ただ不可解だとでも言いたげな表情で土方を見つめており、土方はどう反応すればいいのか解らなかった。
「俺もお前が好きだって言ってんじゃねぇか。何で泣くんだよ」
「だって、あんたは俺のこと好きでもなんでもねぇんだろ?」
「はぁ?好きだって言ってんだろうが」
「どうせ、俺の気持ち知って、からかってやろうとか思っただけのくせに」
そう話しながら再び涙が溢れてきたが、高杉の手が土方の顔を固定しているため隠しようもなかった。
「泣いてる理由を聞いてもさっぱり意味がわからねぇが、これだけは答えろ。お前は俺が好きなんだな?」
「だからそう言ってるだろ」
「まぁそれだけわかりゃいい」
高杉はそう言うと土方を抱き締めてきたため、土方は驚きのあまり狼狽えてしまう。
そんな土方の耳元に高杉の唇が寄せられた。
「いいか土方。今日からお前は俺の女だ。むやみやたらと野郎に愛想振り撒くんじゃねぇぞ」
「え?ちょ、とりあえず離せって」
「承知するまで離させねぇよ」
「承知って」
土方は困惑しつつ間近にある高杉の顔を見返すと、高杉は土方の顎を掴んで持ち上げニヤリと口角をあげた。
「お前は俺のモンだ」
そう告げた高杉は再び土方の唇を塞ぎ、先程のようにすぐ離れるかと思っていた土方の意に反して深く吸い尽くすような激しい口づけを贈られた。
さんざん貪られた唇をようやく解放された土方は、真っ赤に染まった顔で唇を手で覆って高杉を見返す。
「わかったかよ」
そう覗きこんでくる高杉の隻眼はからかうように細められてはいるものの、土方の頬を撫でる指は優しかった。
その指先から高杉の気持ちが伝わってくる気もしたが、やはりまだ心のどこかで騙されているのではないかという疑いが消えず、土方は素直にわかったと頷くことができない。
そんな土方に高杉は小さく笑って土方の前髪を指で軽く払い額に口づけてきた。
「何年かかったとしてもいつかお前の口からわかったって言わせてやるよ」
土方は額に高杉の吐息を感じつつ、そっと高杉の制服の胸元を掴んで囁くような小さな声で「だったら、一生言わねぇ」と呟く。
もし騙されているのだとしても、自分がわかったと言わなければ高杉はずっと自分の傍で自分を好きだと言ってくれるかもしれない。
そんなずるい考えで告げた言葉であったが、高杉は「そうかい」と笑いながら目元に口づけて来た。
高杉の顔がどこか嬉しそうに見えた土方は目元から唇へと移動してきた高杉の唇を受け入れるべく静かに瞳を閉じた。


END



高杉が土方へ贈る花はリナリアです。花言葉は「私の恋を知ってください」
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