サルビア



授業も終わり、帰りの挨拶をかけあう生徒たちの声の合間に大きなため息が混じる。
この部屋に入ってからもう何度目かになるか解らないそれに、銀八は思わず自分も同じようなため息をつきかけて寸でのところで堪えた。
そして背後を振り返って先ほどから繰り返しため息をもらしている自身の教え子へと視線を送る。
意志の強そうな瞳と端正な顔立ちがこの生徒の特徴だ。
しかし今日はその瞳を不安げに揺らし、顔には憂いを浮かべて頬杖をついていた。
「土方君。さっきから辛気くさくため息ばっかつくのやめてくれない?というか先生に何か用があってここに来たんじゃないの?」
先ほど話があると銀八の部屋を訪れた土方であったが、一向に話しだそうとせず、暇を持て余した銀八が仕事をし始めたらこれ見よがしにため息をつき続けているのだ。
「銀八さぁ」
「先生ね。一応これでも教師だから先生ってつけて呼んで」
「銀八って確か高杉先生と昔からの知り合いなんだよな?」
銀八がした忠告をまるきり無視した土方が、その後に口にした銀八と同じく教職員である人物には先生とつけたことに、銀八はヒクリと眉をつり上げる。
「土方君、それわざと?」
「は?何がだよ。っていうか質問してんのはこっちなんだけど」
土方は頬杖から顔を上げて銀八を怪訝そうな表情でみやってくる。
銀八はとうとう堪えきれなかったため息を、これ見よがしに深くつきながら顔だけでなく身体全体を土方の方へと向けた。
「で?高杉がなんだって?」
「同僚だからって呼び捨てにすんな。ちゃんと先生ってつけろ。親しげに思えてムカつくから」
銀八の言葉に畳みかけるように発せられた土方の声に銀八はこめかみが思わずひくつくのを感じる。
土方は俺の可愛い生徒なんだから我慢我慢。
小憎らしくても受け持ちの生徒なんだから我慢我慢。
殴り飛ばしたいぐらい腹立たしいけど他の教師からも信頼厚い優等生なんだから我慢我慢。
「ってできるかぁ!!」
銀八は心の中で唱えていた呪文を打ち払うかのように机を両手の拳で強く叩いた。
「土方君!先生もう無理!なんかすっごい殴り飛ばしたい気分!ホントもうマジで!」
「殴られたら教育委員会に訴えるから大丈夫だ。安心しろ」
「全く安心できません!」
もう一度机を叩いた後、銀八は机の上で両手を組み、その上に額を乗せる。
「あーもう。それで今度は何?いい加減、これ言うのも飽きたけど、高杉先生と何かあったんですか?土方君」
土方に言われたように銀八は先生という敬称をつけて昔馴染みの男の名を告げる。
高杉は銀八にとって高校の同級生であり、大学は別だったもの就職先である銀魂高校で銀八は国語教師、高杉は養護教員として再会した。
友人というほど親しくはないが、見ず知らずの他人というほどよそよそしくもない。
高杉も銀八も屋上を喫煙所替わりにしているため、そこで会えば他愛ない雑談ぐらいはする関係だ。
そしてその屋上によく来ていたのが今目の前で銀八を悩ませている土方だった。
土方は優等生ではあるが根っからのまじめ人間という訳ではなく、疲れがピークに達すると授業をサボり屋上で息抜きをするという変わった癖がある。
銀八はそれを注意すべき立場ではあったが、土方の普段の生活を見ていると、屋上で息抜きするぐらい見逃してやりたくなるほどハードなものなのだ。
朝は風紀委員副委員長として他の委員たちに仕事を割り振るために早朝から登校し、その指示が終わるとそのまま部活の朝練へと参加して副部長として指示を飛ばして部員たちと汗を流す。
授業が始まれば自由気ままな教師陣に課題の提出予定日を指摘してやり、放っておくと課題など出しもしないクラスメイトたちを宥めすかして課題を回収する。
その合間に生徒会の手伝いや教師たちの仕事も手伝い、女生徒に殴り飛ばされた友人を保健室へ運んだりもしていた。
放課後になれば再び部活に顔を出し、それが終わると風紀委員で取り締まった生徒たちからの反省文や没収品の確認を行い委員たちに指示を出す。
それが日常であり、ここに文化祭や体育祭、生徒会選挙などが始まるとこれらの仕事も土方へと回ってくる。
基本的に自由な校風であるこの高校は、教師でもテスト期間中ぐらいしか土方ほど忙しくないのではないか。
自分自身もよく土方の手を借りて雑用を済ませている銀八は、あちらこちらへと飛び回る土方を見てそう思っていた。
しかしいくら多少の息抜きをするといっても忙しすぎると無理がきかないのが人間だ。
土方も例に洩れず体育祭の実行委員に指示を出している最中にそのまま倒れてしまった。
その際に土方を看病したのが養護教員の高杉なのだが、看病を終えたあとも彼は養護教員としての仕事の範囲を超え土方の生活のすべてを管理し始め、最終的には親と離れて一人暮らしをしていた土方を、親の了承を得た上で自宅にまで引き込んだのだ。
それはあまりにもやりすぎだろうと担任として高杉に一言述べると、高杉は憮然とした顔で土方は自分の物だから部外者が余計な口出しをするなと言ってきた。
自分の物とはどういうことかと銀八が高杉におそるおそる問いかけると、高杉からは付き合ってるに決まってるだろうと逆に怪訝そうな顔を向けられた。
そのため、銀八の脳裏に浮かんだ「決まってねぇよ!」というツッコミも、「高校生に手を出すなよ!」という大人としての忠告も口に出せず、ただ「へーそうなんだ」という言葉が銀八の口からこぼれ落ちた。
それが今から一年ほど前のことだ。
自分たちの関係を銀八には話したと高杉から聞いたらしい土方は、これ幸いとでも言いたげに銀八へ何度となく相談を持ちかけてくる。
その相談の中で、高杉から土方と付き合ってると聞いたときに脳裏に浮かんだ高校生に手を出すなという忠告がその時点では的を得ていないものだったことが知れる。
しかし結局、相談を受けた数日後には嬉しそうな顔で土方から報告を受けたため、そのまま高杉の元へと走り「高校生に手を出すなよ聖職者!」と怒鳴りつけてやったが、高杉には「あいつが可愛いのが悪い」と悪びれた様子もなく言い切られた。
この時、高杉が言った可愛いという言葉を銀八は高杉の欲目だと思って聞いていたが、それを身を持って実感したことがある。
それは高杉と土方がつきあい初めて半年経ったある日、高杉に浮気疑惑が浮上し、思い詰めた土方が自分も浮気してやると泣きながら銀八の家に駆け込んできた時だ。
いつもは憎らしいぐらい強気な瞳を涙で濡らし、まるですがるように自分を見上げながら浮気相手になって欲しいと強請ってきた土方に、銀八は教師としての理性と男としての本能の狭間をあり得ないスピードで反復横飛びさせられた。
最終的にはなんとか理性の方に足を着けることができたが、高杉に対して後ろめたい程度には手を出してしまい、今後二度と土方は家に泊めないという決意が銀八の胸には今も深く刻まれている。
銀八との間にそういったことがあった後も土方の態度は全く変わらず、高杉の動向にしか意識を向けていない。
そのくせ高杉との間で何か揉めると必ず銀八のところに駆け込んできて気が済むまで愚痴をこぼしていくのだ。
土方は銀八がいる国語準備室を訪れる際、礼儀をわきまえ、必ず扉をノックしてから入ってきて銀八に時間が空いてるか確認をとる。
そのため土方が部屋へと押し入ってくるわけではないのだから、銀八の方が忙しいからと突き放すことも可能のはずだった。
しかし、土方に対してはどうもそれが上手くできない。
たいていの人間にはのらりくらりと言葉巧みに自分へ寄せ付けないよう上手く立ち回れる銀八にしては珍しいことだ。
心のどこかで土方をただの生徒以上に思っている部分があるのかもしれないが、いろんな意味で怖くてそれ以上考えたくもなかった。
銀八は思わず口から大きなため息を漏らしつつ、自分の目の前で自分が入れたコーヒーを飲みながら「別に高杉先生と何かあったわけじゃねぇし」と目を伏せる土方へと目をやる。
「何もなかったら俺のとこに来ないでしょ?」
「いつもコーヒー飲みに来てるだろ?」
「愚痴を言うついでに、でしょうが」
机に頬杖をつきながら土方をみやれば口を尖らせつつ「先生以外に愚痴れる奴いないんだからしょうがねぇじゃん」と呟き、ぷいっと顔を背けられた。
こういう時にだけ迷いなく自分のことを先生と呼び、可愛らしい反応を見せる土方が少し憎らしい。
思わず苦笑しながら銀時は土方に先を促すために話を切りだした。
「昔馴染みっつっても高校の同級生ってだけだし、高杉のことはあんま知らねぇけど?」
口にしてから高杉に先生をつけるのを忘れたとハッとする銀八だったが、今回は土方も気にしていないらしく「ふーん、そうなんだ」と残念そうな表情を浮かべる。
「何を聞きたかったわけ?」
「高杉先生が今まで付き合ってた彼女について」
眉間に皺を寄せて小難しい顔をする土方だが、まだ少年らしさが残っているせいでどこか拗ねているようにも見えた。
土方が聞きたいと言った高杉の女関係について銀八は自身の高校時代へと記憶を遡らせる。
高校時代の高杉は身に纏う雰囲気からしてお世辞にも素行がいいとは言えなかったが、その雰囲気がマイナスとならないほど整った容姿が女の目を引くのか、高杉の隣に女がいない日はなかった。
しかもその周期は短く、週替わり、悪いときは日替わりで隣に立つ女が違うのだ。
そんなことを続ければたいてい謗りを受けるものであろうが、高杉に限っては彼だから仕方ないとそれを容認させる何かがあったのかもしれない。
かくいう銀八も高杉がいつも違う女を連れていることに羨ましいぐらいモテる奴だなぁという客観的な印象しか持っていなかった。
しかし高杉の恋人である土方と多少とも関わりを持った今、いくら周りが容認していたとはいえ当時高杉と付き合っていた女たちは高杉の行為をどう思っていたのだろうかとふと疑問がよぎる。
ただ高校三年間の間、土方のように1年以上も高杉の恋人として隣にいた女が誰一人いなかったことを考えると、土方と昔の彼女たちは根本的に違い、比べることなどできないのだろう。
とりあえず、なぜ土方が高杉の彼女について聞いてきたのかが気にかかり、土方に向けて「そんなこと聞いてどうすんの?」と問いかけてみた。
「どうっていうか・・・」
土方は少し言い淀みながら手にしていたコーヒーカップを何度も両手で包み直す。
「俺、誰かと付き合うとかって高杉先生が初めてなんだ。だからどこまで踏み込んでいいのか加減がわかんなくて・・・」
「加減?」
「うん。まだ付き合う前に先生から聞いたことなんだけど、先生って恋人に束縛されるの嫌いで、今までも彼女がそういう素振りを見せたら即別れたらしいんだ」
「あぁ。それであんな頻繁に女が変わってたのか」
土方の言葉に思わず納得の言葉をこぼした銀八だったが、聞かせてはまずかっただろうかと慌てて口を噤む。
しかし土方の耳にはしっかりと銀八の呟きが聞こえていたらしく、「やっぱり」という声が深いため息に混じって返ってきた。
「あー、いや、でも俺の記憶の限り、一年も続いてんのはお前だけだ。良かったな!」
慌てて取りなすように笑みを作ったが土方の表情が明るくなることはなくコーヒーカップをジッと見つめ続ける。
「この前も急に電話が繋がらなくて、後で聞いたら映画見てたって言われてさ。一人でいたのかとか聞きたいけど、それ聞くと束縛になるのかなぁとか思ってできなかったんだ。だから恋人ならどこまで聞いてもいいのかちょっと気になって…」
土方はため息ではなく短く吐息をこぼすと両手で包んでいたカップを解放し、持ち手に指をかけて持ち上げるとそれを口へと運んだ。
俯きがちになっているせいで睫の陰が目の下にかかるのを見つめながら銀八は自ずと避け続けていた話題を口にする。
「もしかして、半年前のことも結局聞けてねぇの?」
半年前、土方が銀八の家に泊まった最初で最後の日。
そもそもの始まりは、家に帰ってきた高杉が普段つけないような甘い香水を身にまとい、その首筋に口紅の痕があるのを土方が見つけたことからだった。
その後、銀八は友達の家に泊まりに行くと高杉に告げてここへと来たと玄関先で土方から聞かされ、一晩だけという約束で仕方なく土方を家に入れた。
しかしその日の夜、少しとはいえ土方に手を出してしまった銀八は土方が高杉の家に帰った後どうしたのか、高杉に尋ねることも土方に問いかけるのもはばかれ今に至っている。
ただ、あれ以降も高杉と土方は交際を続けていため、二人で話し合って上手く解決できたのだろうと勝手に思いこんでいた。
少しの沈黙の後、土方が静かにカップをソーサーへと戻しながら「聞いてねぇよ」と言葉を返してくる。
「何で?あからさまに浮気っぽかったらツッコミいれんの当然だろ?」
「だって、別れたくねぇもん。余計なこと言って別れるなんて、嫌だ」
土方は先ほど戻したカップを再び両手で包むが、その手は明らかに震えていた。
「・・・土方。高杉と少し距離を置いた方がいいんじゃないの?」
担任としても、一人の大人としても、そうした方がいいと銀八は心の底からそう思う。
土方はまだ高校生。
これから先、どんな人にでもなれる。
青春の一時を男性教諭と過ごしたことが土方の人生において汚点になるとまではいわない。
誰かに真剣に恋をすることはとても素晴らしいことだ。
しかしそれで土方が憔悴しきってしまっては意味がない。
銀八としては土方を思っての言葉であったが、土方のほうは銀八からそう言われることなど想定もしていなかったようで、俯かせていた顔を上げ、驚きで目を丸くさせていた。
「銀八、聞いてなかったのかよ。俺は別れたくないって」
「誰も別れろとは言ってない。ただ距離をおけって言ったんだ。お前は今年受験生だろ?まぁ成績に問題はないからその辺は大丈夫だとしてもだ。受験して大学に行って就職して。お前の人生はまだまだ続くんだ。その隣に必ず高杉がいるとは限らないんだからな?」
「だから!だから今は別れたく」
「土方。お前も心のどこかでこのままじゃ続かないと思って俺のとこに来たんじゃねぇの?」
銀八が問いかけると土方の瞳にうっすらと涙が滲み始める。
「でも、嫌なんだ。先生と、別れたくない。こんなに先生が好きなのに・・・。先生が今まで付き合ってたどんな女にも負けないぐらい、先生が好きだって、俺、自信持って言える。なのになんで?なんでダメなんだよ」
絶え間なく落ち続ける滴を手のひらで拭いながら思いを告げてくる土方に、銀八は胸が痛んだ。
もしこれが高杉に対してではなく、自分に向けての言葉であれば、少しの罪悪感と多大な幸福感に満たされながら土方を抱き寄せて慰めていたかもしれない。
しかしそれは自分の役目ではない。
「土方。距離をおく方向で高杉としっかり向き合え。その時には今までの不満もちゃんとぶつけろよ?連絡つかなくてムカつくとか女と浮気するなんて最低だってちゃんと言ってやれ。そのあと、今さっき俺に言った言葉も忘れずに付け加えとけ」
「さっきって?」
涙のせいでほんのり赤くなった目を銀八に向けながら土方が尋ねてくる。
「高杉のこと、すげぇ好きだってこと」
「そんなこと今さら言わなくたって高杉先生だって解ってるだろ?」
「さぁどうだろうな。男ってのは変なところ鈍感で解ってねぇことの方が多いんだぜ」
「俺だって男だ」
土方の眉間にうっすらと寄せられた皺を指で解しながら「知ってる」と笑みを浮かべる。
しばらくの間、土方の眉根に人差し指を乗せていると「いい加減、離せ」と土方が銀八の手を掴んだ。
ようやく土方の涙も収まったようで、気持ちの方も先ほどよりは少しは落ち着いたようだった。
「なぁ、銀八」
「うん。先生をつけようね。で、なに?」
「先生に別れるって言われたら銀八を殴りに来てもいい?」
「いいわけないでしょうが!殴るなら高杉を殴りなさい!」
「無理。先生のカッコいい顔に傷でもついたら困るし」
そう言うと土方は椅子を引いて立ち上がり、パンパンと自分の両頬を手のひらで叩いて「よし」と気合いを入れて銀八へと向き直った。
「今から先生のとこに行ってくる。話聞いてくれてありがとな」
「どういたしまして。殴られるのは勘弁だけど、愚痴ぐらいは聞いてあげるから別れるって言われたらまたおいで」
扉の取っ手に手をかけている土方にそう声をかけながら銀八は手を振って見送る。
パタリと静かに扉が閉まったのを確認し、銀八は椅子を回してデスクへと身体を戻した。
作成中だったプリントの続きを打ち込みつつ「あ」と小さく言葉を漏らす。
「俺の家に泊まったことだけは黙っとくよう土方君に口止めするの忘れた。やっべぇなぁ。高杉が殴りこんでくっかも。鍵締めとこ」
銀八はそう呟いて椅子から立ち上がって準備室の鍵を閉めながらゆるりと口角を緩める。
「高校生は可愛いねぇ。本気で惚れてなきゃ親に頭まで下げて家に連れ込むわけないって少し考えりゃわかるだろうに」
そうボヤきながらデスクに戻った銀八が仕事を始めた三十分後、準備室の扉が壊れんばかりの勢いで拳を使ってノックされ、「出てこい!クソ天パ!!」という高杉の怒鳴り声が校内に響いた。


END




高杉から土方へ贈る花はサルビアです。花言葉は「貴方のことばかり思う」
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