幸福論


いつもの通り高杉が土方と教室に入ると、待ち構えてたように地味な男が土方へと声をかけてきた。
「おはようございます、土方さん」
声をかけてきた相手に対して、曖昧な記憶しかなかった高杉は、土方が返した「おはよう、山崎」という言葉でようやく目の前の人物が”山崎”という名のクラスメートだと思い出す。
しかし高杉にとっては大したことではなく、律儀に挨拶を返していた土方の手を取って自分の席へと向かう。
すると何故か山崎とかいう男も高杉の後をついてくる。
「…なんか用かよ、てめぇ」
「あ、はい。昨日の部活会議の報告と土方さんの署名をいただきたくて」
「あぁ、そういやお前に代わりを頼んだったな」
土方がそう言って足を止めて山崎へと向き直った。
昨日の放課後、部活の会議に出るという土方を引きずって帰ったのは高杉だ。
しかし、その役目を直々に土方から頼まれたという山崎がなんとなく気に入らない。
沖田と違い高杉に歯向かう姿勢もないし、いつも地味で目立たない奴だが、土方が目の前の人物にかなりの信頼をおいていることは察せられる。
でなければ土方がわざわざ自分の代わりに会議に出させたりしないはずだ。
「それで対抗試合の日程の変更に伴って、練習メニューも考えて欲しいそうです」
「ん、わかった。ありがとな」
「はい。あ、ここに承諾のサインを」
そう言いながら土方に向けてペンを差し出したので、高杉は土方が山崎の手に触れる前にペンを奪い取り土方の名前を書いた。
「あ、おい、高杉」
「おらよ。これでもういいだろ」
高杉がそう言ってペンを付き返すと山崎は頷きつつペンを受け取り、今しがた書かれた字を見つめて苦笑した。
「んだよ」
「いえ、やっぱその人が書く字とかって変わらないんですね」
「はぁ?」
高杉の記憶の中で、山崎に向けて高杉の書く文字を見せた覚えはない。
だからこそ怪訝な顔を向けると山崎は見つめていた文字かた視線を上げ、こちらへニコリと微笑んできた。
「昔はよく、あなたが書く土方さんの名前を見てましたから。...俺、副長付きの監察だったんです」
その言葉に山崎の言う昔が何を意味するのか合点がいった。
まだこうして土方と一緒にいられなかった時代に、高杉は何度も土方宛に手紙を送った。
江戸に来た時や江戸を立つ時、そして、病に倒れた時の辞世の句も。
どうやら目の前の人物はかつての記憶を持ち、しかもかつての高杉と土方の関係を知っているようだった。
土方自身もそれを把握していたのか、土方は感慨深げに山崎を見つめていた。
「お前は、やっぱ気付いてたんだな」
「俺はあなたの一番近くにいましたから」
「…そうだな」
静かに視線を落とした土方が遠い昔に思いを馳せているのを感じた。
土方より先に病に倒れた高杉は、昔の土方がどんな最期を迎えたか、土方自身に聞くまで知らなかった。
目の前のこいつは最期の最期まで一緒にいたんだろうか。
だとしたら気に入らない。
そう思った高杉が目の前の男を睨みつけていると、その視線に気付いたのか、こちらに視線を向けて困ったような曖昧な笑みを浮かべて見せた。
「俺も土方さんの最期には立ち会ってませんよ」
「あ?」
「戦況が激化すると土方さんは俺を逃がしたんです」
そう言ってどこか悲しそうに顔を曇らせた。
きっとこの男は最期まで土方の傍にいたかったのだろう。
そんな心情が高杉にも察せられ、同じく土方も山崎の心情を察したのか、彼の頭をふわりと撫ぜ「ありがとな、山崎」と声をかけていた。
山崎は驚いた顔をしながらもすぐに顔を綻ばせて「はい!」と頷いており、まるで犬と飼い主のような彼らを見つめていた高杉だったが、山崎の髪に触れている土方の腕を掴んで離させる。
「土方!むやみやたらと男に触るなって言ってんだろ!」
「は?あぁ、悪ぃ」
山崎は一瞬だけ名残惜しそうな顔をしたが、すぐに穏やかに土方に向けて微笑みかける。
「でも、良かったですね」
その言葉に土方は首を傾げたが、すぐに何かを察したらしく高杉へと視線を向けた。
そしてふわりと綺麗な笑みを浮かべる。
高杉は土方のこの顔が今も昔も変わらず気にいっている。
かつてはさほど見る機会が多くなかったし、その笑みにかすかな痛みを含んでいたことの方が多かった。
そのせいか、かつての自分に何度となく言い様のない物悲しさを沸き上がらさせるものでもあった。
それでも“高杉が好きでたまらない”と表情だけで雄弁に語るその笑みは、それ以上の安堵を抱かせてくれたのも紛れのない事実。
今の土方はかつて含んでいた痛みを取り払い、高杉への恋情それのみを込めた笑みを高杉へと向ける。
そんな笑みを浮かべた土方が「あぁ、そうだな」と山崎へと言葉を返し、手の平を高杉へと伸ばして来た。
「また、高杉に会えてよかった」
高杉の頬を撫でなから万感を込めて告げる土方に、高杉はようやく山崎が告げた”よかった”が何に繋がっていたのかを理解する。
土方は前も銀八にそんなような事を言われていた。
それでも銀八に言われた言葉より、同じ戦友に言われたその言葉はきっと土方にとって重い一言なのだろう。
会いたいときに会えず、支えてやりたいときに支えてやれない。
どんなに思いが募ったとしても同じ道を歩けなかった。
自分たちが選んだ道をお互いに後悔したことなどない。
しかし、それを選んだが故に得られなかった時間が今ここにはある。
誰にも邪魔されず、誰にも咎められず、誰に隠す必要のない想い。
確かに幸せだ。
その気持ちを込めて高杉は自身の頰に触れられたままだった土方の手に自分の手を添える。
そしてその手をとり高杉が手の甲へと口づけを落とすと、土方が軽く力を込めて握り返してきた。
微笑みを浮かべてこちらをみやる土方と視線を絡ませつつ、引き寄せ口付けようとすると、無理やり誰かが割って入ってきた。
「おはようごぜぇやす」
その聞き覚えのある小憎らしい声に高杉の口から思わず舌打ちがこぼれた。
土方の背後からニヤニヤとした笑みを浮かべた栗色の髪をした奴がひょっこりと顔を出す。
「何のマネだ。沖田」
「土方さんに朝の挨拶をしにきただけですぜ?おはようごぜぇやす。土方さん」
土方は軽く嘆息を吐きつつも「おはよう、総悟」と返している。
それでも高杉の手が離されることはなく、高杉はそんな些細なことでも土方の気遣いを感じられた。
近藤や沖田たちは今の土方にとっても幼馴染で特別なのだろうが、土方は出来るだけ高杉を優先する。
いつだって高杉の傍らに立ち、高杉に幸せそうな微笑を向ける。
そんな穏やかな日々は、当たり前のように見えて、高杉たちにとってはかけがえのないものだ。
1秒たりとも無駄ではないその時間を二人で過ごすべく、高杉は土方の耳元に「屋上行くぞ」と囁く。
土方は高杉の言葉に微笑みつつ軽く頷きかけるとまたしても邪魔が入る。
「トシー。ノート貸してくれぇ」
親の敵でも見るかのごとく近藤を睨み付けている高杉をよそに、近藤は「ヤバイヤバイ」と土方の周りをうろちょろし始めた。
「何のノートだ?近藤さん」
近藤に声をかけられた土方は高杉の手を離して鞄を漁り始める。
「英語だぁ。俺、絶対今日当たるんだよなぁ」
「はい、コレ」
「サンキュー」
それを受け取って去っていく近藤を土方が呼び止めた。
今すぐにでも屋上に行きたいと高杉が思っているのを土方は知っているはず。
だからこそこれは珍しいことであり、自然と高杉の視線は一段ときついものとなる。
そんな高杉に土方はすぐに済むからという視線を一瞬投げかけた後、近藤に向き直った。
「近藤さん」
「ん?どした?トシ」
「あのさ…俺…」
どうも歯切れの悪い土方を見つめていると、キュッと唇を噛んで再び口を開く。
「俺さ、高杉と付き合ってるんだ」
今さら言うことなのだろうかと高杉は思わず首を傾げかけるが、ふと先日銀八が土方に向かって言っていたことを思い出す。
“ゴリラや沖田くんにちゃんと紹介できるじゃん”
土方は確かそんなようなことを言われていた。
昔の土方にとって近藤は、自分を導いてくれた人間であり、かつての土方は近藤を支えることだけを生きる目的にしていたと言っても過言ではなかった。
もし近藤がいなければ愛国心なぞなかった土方は簡単に高杉のところに来ていたかもしれない。
そう言う意味では高杉にとっての近藤は今になってもまだ憎らしい存在ではある。
だからこそ近藤に土方との関係を認めてもらう必要性を感じたことなどないし、近藤だけでなく誰に何を言われても土方は高杉のものであり、誰かに譲る気は更々ない。
だからこそ高杉は土方を過剰に束縛もするし、土方としてもそれを理解し受け入れている。
そんな光景が近藤にとっても日常だったのか、土方にそう言われた近藤は不思議そうに首を傾げた。
それでも土方が自分の言葉を待っているのを見て、顔を崩しながら盛大に笑い声を上げる。
「ははっ!今さら言われなくても解ってるよ!トシ、幸せそうだしな!好きな人が出来てよかったなぁ!トシ!!」
そう言いながら土方の肩を大きく叩く。
相変わらず馴れ馴れしい近藤とそれを妙に嬉しそうな顔で受け入れている土方を苦虫を潰すような気持ちで高杉が見つめていると、その近藤をおしのけて土方の前に沖田がたった。
「ちょっと土方さん、なんで近藤さんにはして、俺にはしないんですかぃ」
近藤のことも気に入らないが、沖田のことは近藤とは違った意味で気に入らない。
高杉は思わず土方を自身の後ろへと隠して沖田と向き合った。
「あんた、何のマネでぃ」
「てめぇはこの前、土方と二人きりで話してただろうが」
「でも面と向かって紹介はされてやせん」
「必要ねぇ」
そう高杉が言いきると沖田は強い眼差しでこちらを睨み返してきた。
今の沖田にとって土方がどういう存在なのか高杉には解らない。
それでも昔の土方にとって沖田は可愛い弟分だということは理解している。
だからなのか、今の土方も沖田に対してはそれなりに甘やかし気味だ。
少し前、しつこく食い下がってきたのが沖田ではなかったら、土方は高杉より優先して話を聞いたりなどしなかっただろう。
そう言った意味で沖田は高杉にとって気にくわない存在に他ならない。
そんな沖田と高杉が睨みあっていると、土方が背後から声をかけてきた。
「なぁ、高杉」
「あ?なんだ」
「お前は紹介とかしないのか?」
そういう土方の視線を辿ってみると万斉や武市の姿があった。
確かに彼らは昔、高杉と同じ鬼兵隊にいたが、土方のことを認めてもらいたいというような関係でもない。
高杉がそう土方に言おうとした一瞬早く、向こうから声がかかった。
「結構でござる」
「…紹介してやるとも言ってねぇだろうが」
万斉の後ろにいた武市もこちらを見ながら声をかけてくる。
「もしいらっしゃるなら土方さんの妹さんとかをぜひ紹介」
「しねぇって言ってんだろうが!」
高杉が小さく舌を打ちながら彼らを睨みつけていると、何故か背後から近藤の笑い声が聞こえてきた。
思わずそちらに顔を向けると近藤は楽しそうに笑いながら目の前の土方を見ているようだった。
「なにがおかしい」
「いや別に。トシ、眉間に皺寄ってるぞ」
近藤に言われて土方がハッとしつつ皺を指でほぐしている。
「どうした?土方」
高杉がそう尋ねると眉間に手を置いたまま俯き「…別に」と呟く。
どうみても何でもないという様子には見えず、高杉は俯く土方の顎を掴み無理やり自身へと視線を合わせた。
「土方。隠しごとすんじゃねぇ」
高杉と視線を絡めていた土方はふいっと目線をはずし、それを泳がせながらも「河上たちと仲良さそうでムカツク」と小さく呟く。
土方の言葉に高杉は自身の頬が緩むのを感じた。
高杉にしてみれば彼らと土方は比べ物になどならない。
それでも昔の仲間と話す高杉を土方が気に入らないのだとしたら、高杉が近藤たちと話す土方を気に食わないのと同じことを指す。
どこか拗ねたように高杉から視線をそらしている土方の唇を躊躇することなく自身のもので塞ぐ。
驚いて目を少し見開いた土方だったが、すぐに応え始めたため、高杉は激しくならない程度で唇を離してやった。
離された土方が物足りなそうにこちらを見つめてきたため、高杉は軽く唇を合わせながら「好きだぜ、土方」と囁いてやる。
「あぁ。俺もだ」
うっとりと蕩けた表情で微笑む土方に再び口づけようと近づいたところで「そういうことは教室の外でやりなせぇ」と沖田が不機嫌そうに声をかけてきた。
ふとそちらに目を向ければ近藤は照れたように両手で手を隠し、隣の山崎は呆れたような視線を送ってきている。
「元はといえばてめぇらが俺たちを呼び止めたんだろうが」
「けっ!さっさと屋上でも何でも行きなせぇ」
沖田が猫でも追い払うように手を振った。
それに従うようで癪だったが、いつまでもここにいる気になれなかった高杉は土方の手を引いて促す。
「土方さん」
高杉とともに歩き始めた土方だったが、律儀に立ち止まって沖田を振り返った。
「あんたが納得してることなら、あんたが誰と付き合おうとどうでもいいんでさぁ。別に反対する理由もねぇし」
なんの裏もなさそうな沖田の言葉に土方は驚いたようだった。
「ありがとな、総悟」
高杉からは見えなかったが、きっと嬉しそうな笑みを沖田に向けたのだろう。
その証拠に沖田がどこか照れたようにぷいっと顔を背けていた。
そんな沖田がなんとなく気に入らず、高杉は思わず舌を打った。
するとそれが聞こえたのか沖田が先程まで土方に向けていたのとは全く違う視線を送ってくる。
「まぁあんたのことは嫌いですけどね」
「…俺もてめぇは嫌いだ」
「相思相嫌ってやつですねぃ」
「へーそんな言葉あるんだ」
「ねぇよ、近藤さん…」
土方が呆れたように近藤へと視線を向けた。
その視線を受け、近藤はポンと手を打ち「あ、そうだ」と声を漏らす。
「田舎のお祖母さんから野菜とどいたぞ、トシ。ありがとな」
「え?あぁ、うん。あれはばあちゃんの趣味みてぇなもんだし」
土方が笑顔でそう返している。
高杉にとっては聞き覚えのない話だったため「何の話だ?」と土方に尋ねると、土方が答える前に近藤が口を開いた。
「トシのお祖母さんからうちの道場あてに毎年大量の野菜をおくってもらってるんだよ」
「田舎に土方の婆さんがいるのか?」
「いますぜ。山奥の村に住んでるんでさぁ。夏休みには何度も遊びに行ったもんでぃ」
「てめぇには聞いてねぇよ」
「あんたは知らなかったくせに」
ニヤニヤとどこか勝ち誇ったように言う沖田に、高杉は再び舌打ちをするが近藤の豪快な笑い声によってかきけされた。
「まぁいいじゃないか高杉!知らないことがあったって、これから知っていけばいい!この先ずーっとトシといてやってくれるんだろ?」
「あ?当たり前だろゴリラ」
「ちょ!ゴリラってだれ!?」
近藤はそう叫んだ後、目を丸くした。
「え?トシ!?どうしたんだ!?」
その言葉に高杉が土方の方を見ると、土方は静かに涙を落としていた。
近藤に向かって「なんでもない」と首を振った後、土方は繋いでいた高杉の手を軽く引いて自身へと引き寄せる。
高杉の肩に土方の頭の重みと温もりが重なった。
どうやらまだ涙が止まらないらしい。
近藤の言うとおり高杉はこれから先ずっと土方の傍におり、それは土方も理解してることだ。
でもそれを近藤から望まれるのは、土方にとって予想外だったのかもしれない。
土方はその昔、近藤とは敵対する立場にある高杉と想いを通わせてから、いつだって近藤への自責の念に駆られていた。
だからこそ、そんな近藤から高杉との未来を指摘され、思わず涙が溢れたのだろう。
高杉が繋いでいない方の手で土方の漆黒の髪を撫ぜると、土方がゆっくりと顔を上げた。
涙で濡れた頬にそっと手の平を這わせる。
「…幸せか?」
高杉が思わずそう尋ねると、土方からは「あぁ、もちろん」と手のひらに頬をすり寄らせながら穏やかな声音で答えが返ってきた。
「二人とも、早く屋上行かないと先生来ちゃいますよ?」
嬉そうな微笑みを浮かべる土方を高杉が飽かず見つめていると、沖田と近藤の合間から山崎が穏やかに声をかけてくる。
その言葉とおり教室には始業のチャイムが鳴り始めていた。
「土方」
そう声をかけると土方も頷きつつ歩き出し、今度こそ、誰も止めようとはしなかった。
それでもどこか温かく見守る視線が送られているように感じ、土方もそう感じたのか高杉と視線を合わせてはにかむように笑った。


END
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