クルクマ




左右に広がる回り階段の真ん中には大きなシャンデリアが垂れ下がっている。
土方がそれを見上げるようにしていると受付を済ませた連れの男が「行きますよ」と声をかけてきた。
男は普段から洋装を身にまとっているが、今日の出で立ちは白い制服ではなく黒いタキシードを着ている。
先ほど顔を合わせたときに男からさんざん服装についての説明を受けたせいか、どの部分へも視線を向けたくない。
土方にとってはジャケットの仕立てがイギリス系だろうがイタリア系だろうが興味はない。
ましてや男から『ピークドラペルとショールカラーと迷ったんですけどね。格は同じでもピークドラペルの方が印象がよさそうなのでこちらにしたんですよ』と言われても、それらは一体なんの暗号なのかと土方は内心で首をかしげるしかなかった。
それらが何を意味するのか男に尋ねればよかったのかもしれないが、目の前の男に教えを乞うなど土方のプライドが許さない。
おそらく目の前の男は土方のそういう性格すらも理解しながら洋装の説明をしたのだろう。
いちいち癇に障る男なのだ。
この目の前にいる男、佐々木異三郎は。
気に入らない男と土方がこうして行動を共にしているのには訳がある。
そもそもの発端はちょうど1週間前のこと。
ある男の攘夷浪士に対する資金融資の情報を監察たちが掴んだ。
しかし相手が幕閣のお歴々と縁の深い人物であるせいで普段通りの捕り物を行うことができない。
土方がどうすべきかと手をこまねいていたところに佐々木が手を組みませんかと言い出してきた。
佐々木たち見廻組が抱えている案件は接客婦が連続して神隠しに遭うという事件らしい。
土方もちらりと噂だけは聞いたことがあった。
消えた接客婦というのは全て会員制の高級クラブの女で、客の同伴でパーティーに出席し、自宅に帰ったあと彼女たちの行方が解らなくなるそうだ。
雑誌などが好みそうな事件ではあるが、なにゆえエリート集団である見廻組が捜査をしているのか。
疑問に思った土方が佐々木に尋ねると、幕閣の重鎮たちが贔屓にしていた接客婦も行方不明になってしまったらしく、早急に探す出せとの指示がでているとのこと。
どこの組織も対して変わらないなと土方が佐々木を憐憫を込めて見つめた。
そして少し話を聞いてやろうという気持ちになり手を組むとはどういうことかと問う。
佐々木の調べでは彼女たちが同伴していたパーティーの参加者を全て照合した結果、一人の男が浮上した。
それが土方たちが追っている男、墨林光太郎だという。
墨林はパーティーで見目のいい女を見つけ、それを浚い天人主催のオークションへ持ち込んでいると佐々木から聞いた土方は、その利益が攘夷浪士に援助へと繋がっているのではないかと目星をつける。
『どうですか?手を組みたくなりましたか?そちらとしても小さな下部組織の真選組のまま捜査するより私たちエリート組織と共同戦線を張った方が立場的ににも有利ですし捕り物も上手く行くと思いませんか?』
そう感情の読めない顔で諭され、土方は手を組むことを了承した。
しかし今のような状況に陥るのだと最初から解っていたら即座に断っていただろうに。
土方は了承した過去の自分を責める。
佐々木の言う手を組むというのは土方を高級接客婦に仕立てて墨林をひっかけるという作戦だったのだ。
土方は何度も『こんなにガタイのいい女なんているはずがない!』と女装を断固拒否した。
しかしそのたびに佐々木に『大丈夫ですから』と声に感情の起伏を感じさせない言葉で繰り返し諭され、最終的には見廻組副長である女剣士に刀片手に脅されて今に至る。
顔には化粧を施され、髪は地毛にウィッグを装着され、訪問着を着付けられた。
象牙色の地に桔梗、女郎花、すすき、萩の秋草が染められた着物と深みのある緑地に桐や牡丹唐草模様をあしらった袋帯。
落ち着きの中に華やかさのある着物で柄行きとしては好ましい。
ただそれを自分が着るとなれば話は別だ。
どれだけ格式高く美しい着物であっても自分が着ては台無しだろうと土方は着付けられた後、姿見をみながら深いため息をついた。
でき上がりを確認しにきた佐々木が『とてもよくお似合いで』と含み笑いをしながら褒めてきたことも気に入らない。
『さすが高杉さんに頼まれてよく着ているだけはありますね』
『不用意にあいつの名前を出すな』
テロリストの筆頭である高杉晋助と土方は敵同士でありながらも恋人という関係を築いており、高杉と協力関係にある佐々木もそのことを知っている。
それを知られて以来、ことあるごとに高杉の名前をチラチラ出してきて土方としては気が気ではない。
着付け終えた時のことを思いだし、そのことに苛立ちながら眉間に皺を寄せていると、傍らに立った佐々木が小さく嘆息を吐いた。
声で性別がばれるといけないからパーティーの席では基本的に喋るなと言われている。
そのため土方は眼差しだけで何だと佐々木に問いかけた。
「もう少しにこやかにできませんか?土方さん」
すぐさま反論をしかけた土方だったが、なにか喋るときは周りに聞こえないよう耳打ちでと指示されていたことを思い出す。
仕方がないので自分よりも少し背の高い佐々木へと寄り添い耳元に口を寄せ手で隠しながら声を潜めた。
「できるわけねぇだろ、この状況で」
「あなたが怖い顔してるから目立ってますよ」
佐々木の言葉につられて周りへと視線を巡らせれば、確かに招待客の何人かと目が合った。
そうして土方が周囲を伺っていると佐々木は肘を軽く曲げて脇腹との間に空間を作ってみせる。
腕をとれということなのだろう。
土方はかすかに眉根を寄せつつも、佐々木の意図を組んで手を男の腕へと添えて歩き出す。
そして嫌々ながらもにこやかな作り笑顔をして佐々木を見上げた。
すると周囲からざわめきながら話す人の声が土方の耳へと入ってくる。
とりあず笑みを保ったまま、再び佐々木の耳に口を寄せた土方は「何か怪しまれてねぇか?」と尋ねる。
「大丈夫だと思いますよ。私が思うに皆さん目の保養ついでに喋ったに過ぎませんから」
「何いってんだ?てめぇ」
「そんなことより、土方さん。いましたよ」
佐々木が視線を向けた先に墨林の姿があった。
脂ぎった顔とはげ上がった頭、こんもりと膨らんだ腹と短い足、太い指や手首には金銀宝石の類がいくつも付けられている。
山崎の報告書にあった写真と同じ姿だ。
写真で見たときも思ったが、こうして実物を見ても墨林は好感を抱けない外見をしていた。
佐々木とともに墨林の近くへと歩いていくと墨林が分厚い唇を盛大にゆがめながら金歯を見せて笑みを浮かべる。
「これはこれは佐々木くん。お父上はお元気かな?」
「えぇ。お陰様で。墨林様もますますご健勝のことと伺っております」
「はっはっ!そうだねぇ!ところでこちらの美しいお嬢さんはどちらの方だね?」
視線を向けられた土方は佐々木の腕から手を離し静かに頭を下げる。
「こちらは近頃贔屓にしている方でしてね。私はまだ独身ゆえ、このような席に出席する際は毎回困り果てておりましたがこれからはこの方にお願いしようと考えているのですよ」
そっと腰に回された佐々木の腕に、土方は思わず眉根を寄せそうになるのを耐えて笑みを浮かべて墨林を見つめる。
「ほう。佐々木くんが贔屓にするだけあって極上の美人だねぇ。初めまして。佐々木家とは古くから懇意にしている墨林だ」
そう言って墨林は土方に向けて手を差し伸べてきたため、土方はしぶしぶながらその肉厚な手のひらに自身の手のひらを触れさせる。
すると墨林は両手でしっかり土方の手を握り、手の甲から手首までを何度もなで上げてきた。
今すぐにでも手を振り払って目の前でニヤケ顔で何かを話しかけてきている男を殴りたい衝動に駆られる。
しかし仕事のためと必死に自分を抑えつつ佐々木に向けて何とかしろと視線を向けた。
すると佐々木が「失礼」と墨林に声をかけつつ手を離すよう促す。
「この方はこう見えて初心でしてご勘弁のほど」
「それは失礼したね。そういえばお嬢さんは先ほどから一言もお話になりませんな」
「喉に病を患っておりましてね。掠れ声しか出せないのを大層気にしていて、私だけにしか声を聞かせないのです」
「ほぉう」
佐々木の言葉に相槌を打ちながら墨林は土方の姿を上から下へと舐めるような視線で何度も見つめ笑みを深める。
「あちらの声も佐々木くんだけに?」
墨林の言う“あちら”が何を意味するかが解らず土方はかすかに首を傾げたが、佐々木には通じていたらしく「えぇ、もちろん」と同意を示した。
「春情めいた最上の啼き声を聞けるのも私だけです」
佐々木の物言いからようやく墨林のいう“あちら”が閨での色事の話だとようやく気づいた土方は傍らの佐々木を見上げて耳を引っ張り唇を寄せる。
「てめぇは何の話をしてやがんだよ」
土方が小声で責め立てるのも意に介さず佐々木はゆったりと「そう照れずとも良いと思いますよ」と暢気に言葉を返してきた。
「はっはっ!本当に初心なお嬢さんのようだね。おっと、少し失礼しますよ」
墨林が佐々木に会釈をしてその場を離れた。
そのとたん土方は再び佐々木の耳を強く引っ張りつつ自分の元へ寄せる。
「あることないこと言いやがって」
「あの場合は仕方がないでしょう。文句があるなら先にセクハラ紛いなことを聞いてきた墨林に言ってください」
「あいつ捕縛したらぜってぇ殴る。ベタベタ触りやがって気持ち悪ぃ」
「大変でしたねぇ」
そう言いながら佐々木が土方の手の甲を撫でてきたため、土方は先ほどはできなかった振り払うという動作を遠慮なく行う。
「お前も触るな。気色悪いから。それと、さっきからてめぇの手が俺のケツを撫でてる。即刻やめろ」
「気のせいじゃないですか?」
「気のせいじゃねぇよ!」
思うように大声を発せられないというのがどれだけの苦痛かを実感しがら土方は佐々木とともに会場を歩く。
数歩進む度に佐々木がいろんな人間から声をかけられ、挨拶をする佐々木に合わせて土方は会釈と微笑みを浮かべなければならない。
「本当に美しい方ですわね」
「えぇ。私の自慢のパートナーです」
「御結婚は近いの?」
「いえ、まだ正式には。でもいずれはと考えています。そうですよね?」
愛想笑いを浮かべて同意を求めてきた佐々木に、土方は心の底から罵倒したい気持ちを抑えてひきつった笑みで頷いた。
その途端、背中に凄まじい殺気を感じる。
土方は思わず振り返って周囲を確認してしまった。
「どうかされたの?」
目の前の品の良い婦人が心配そうに尋ねてくるのを曖昧な笑みでごまかしつつ、殺気の出所を気配を辿って探し始める。
婦人との歓談を終えた佐々木が土方の腰に手を当てて歩き出したため、傍らの佐々木に身体を寄せて口を佐々木の耳元へと近づけた。
「なぁ。なんか感じないか?」
「なんかとは何です?」
「こう殺気みてぇなやつ」
「あぁ、殺気ですか。今も背中にビシビシ感じてますね」
「やっぱりか。敵か?潜入してるの気づかれたのかもしれねぇな」
そうであるならば方法を変えなければならない。
土方が考えを巡らせていると「そちらの方々ではないと思いますよ」と佐々木が口を挟んできた。
「なんでそんなこと解るんだよ」
「ここから斜め後ろ40度くらいの方向を見てみれば解ります」
佐々木に言われたとおりそちらへと視線をやった土方だったが、すぐさま正面へと顔を戻す。
「ね?違ったでしょう?」
佐々木に指定された方向には見慣れた恋人の姿があった。
先ほど視線を巡らせた時に気づけなかったのは相手が滅多に身に着けない洋装姿であったかららしい。
しかし土方にはそんな珍しい姿に感嘆している余裕はなく、少しずつ顔色が悪くなっていくのを自分でも感じた。
「どうされました?土方さん」
「満面の笑みを浮かべた高杉がいた」
「えぇ。大変ご機嫌麗しいご様子で」
「どこがだよ!」
今の状況がどれほど危険なものなのかを説明すべく土方は佐々木の耳に口を寄せた。
「高杉の奴、俺が誰かと一緒にいるとすっげぇ怒るんだよ。総悟との見回りも不満そうだし、偶然万事屋と非番を過ごした時なんかマジで殺されるかと思ったぐれぇで」
「なるほど。それで私にまで殺気の余波が来ているというわけですか」
「後であいつに言い訳するときお前も手伝えよな」
「私が?何故です?」
「こんな格好してんのはお前のせいだろ!」
「そうかもしれませんが、協力すると決めたのは土方さん自身でしょう?それにエリートというのは言い訳しない生き物なのです。いざとなったら尻尾を切り捨てますので」
「尻尾って俺のことか!?つーかなんであいつこんなとこにいんだよ!」
「さぁ?・・・おや、墨林が戻ってきましたね。私は少し離れます」
「はぁ!?」
驚いて思わず声をあげた土方はハッとしながら小声に戻して「何でだよ!」と佐々木に詰め寄る。
そんな土方に佐々木は深いため息をつきながら首を左右へと振った。
「土方さん。あなた、段取りを忘れたんですか?浚われた女性に同伴を頼んでいた男たちの話では皆一様に彼女たちの側から離れている。おそらく墨林はそのとき彼女たちに何らかのコンタクトをしているはずです。あなたにはそれを探るよう頼みましたよね?」
滔々とそう語った佐々木に土方は口を挟む余裕もなくただ顔を歪める。
「頼みましたよ」
そう言って佐々木が傍を離れると墨林が笑みを浮かべて近づいてきた。
それに対して土方は愛想笑いを返す。
「佐々木くんは挨拶まわりかい?一人じゃつまらないだろう。私が話し相手を務めるよ」
傍らへと立ちエスコートをするように手を回してくる墨林だったが、どう考えても腰よりも下に手を押しつけてくる。
しかも尻の形でも確かめるかのように手を這わせてくる男に土方は顔をひきつらせた。
墨林が土方に触れてからというもの、背中に刺さっていた視線も殺気も強くなっており、気色悪さに相まって土方の肌に鳥肌が立ち始める。
そっと背後へと視線をやれば、今もなお笑みを湛えたままの高杉がこちらに向かってくるのが見えた。
(げっ、やべぇ)
土方は素早く佐々木の姿を探すが、佐々木はきっちりと挨拶まわりをしているようで高杉や土方には目もくれていない。
(あの野郎!頼むっつーなら高杉見張ってろよ!くそエリートが!!)
心中で佐々木に向けて罵詈雑言を浴びせつつ、無理矢理に作った笑みで墨林の腕を引きパーティー会場から連れ出そうと試みる。
墨林は土方が腕に触れると嬉しそうに顔をニタつかせて「どこかへ行くのかい?」と文句も言わず一緒に歩きだした。
華やかなホールから人の疎らな廊下へと出ると、今度は墨林が土方の手を引き壁際に置かれていた椅子へと土方を座らせる。
土方が椅子に座ると背の低い墨林を少し見上げる形となり、その墨林が土方の耳へと顔を寄せてきた。
「私を誘うということは佐々木くんでは満足していないということだろう?私がいいパトロンを紹介してあげるよ。パーティーが終わったらここへおいで。佐々木くんには内緒だよ」
そう言いながら墨林は土方の胸元に名刺を差し込んでくる。
どうやら佐々木の読み通り墨林はこうして女たちを誘い出していたようだ。
土方は一人で納得しつつ墨林が差し入れてきた名刺を見ようと胸元へと手を持っていくとその手を墨林にとられる。
「もし君が望めば私がパトロンになってもいいんだけど、どうだい?私は佐々木くんよりも地位が高いよ。幕府の重鎮だって私には逆らえないんだからね」
墨林が口にした言葉の意味が分からず怪訝な顔を返せば墨林は笑みを深くして「実はね」と再び耳に口を寄せてきた。
続きの言葉を墨林が発する前に会場であるホールの方からから悲鳴と騒音が聞こえてくる。
「な、なんだ?」
そう驚きの声をあげて土方から離れた墨林の傍らを抜け、土方はホールへと急ぐ。
中を覗くと銃声が響いており「晋助様!」という聞き覚えのある女の声が耳へと入ってきた。
そちらへ視線を移せば、思った通り鬼兵隊幹部の来島また子が高杉に鍔なしの愛刀を投げている。
それを受け取った高杉が鞘から刀身を引き抜くと「テロリストだ!」と客の一人が叫び、それを合図にパーティーの参加者は一斉にバタバタと逃げだし始めた。
騒然たる様子の周囲をどこか人事のように感じつつ、土方は高杉をみつめる。
鞘を片手に持ったまま近づいてくる高杉はパーティーに合わせたのか光沢のあるブラックスーツを身に纏い、ドレスシャツにダークパープルのスカーフネクタイを合わせていた。
細身ながらしっかりと筋肉のついた高杉の身体にぴったりとフィットしたそれは妙に様になっており、土方は思わず状況を忘れて見惚れそうになってしまう。
すぐに気を取り直して高杉を見つめ直すが、その表情に土方はふと違和感を感じた。
普段であれば土方の機微に気づきやすい高杉は土方がこうして高杉に見惚れていると必ずといっていいほど笑みを浮かべて揶揄してくるはずだ。
それなのに今日は笑み一つ浮かべず土方へと近づいて来ていた。
とうとう土方の前へと立った高杉は、刀身を握っていた側の手を少し持ち上げる。
カチャリというかすかな音を立てたそれはすぐに高杉の手から離れ、それに伴い土方の背後で「ひぃっ」という息を飲むような男の声が聞こえた。
振り返れば腰を抜かしていた墨林のわき腹近くに高杉の刀が刺さっている。
「逃げられると思ってんのか」
「ひ、ひぃっ!な、何が望みだ!金か!?金なら」
顔を恐怖でひきつらせながら必死に取り縋ろうとしてくる墨林を高杉は笑みを浮かべて見下ろしていたが、土方から見える右目は冷え冷えとしたものだった。
そんな高杉を土方が見つめていると、ふいに高杉がこちらへと視線を寄越し、土方の胸元へと手を伸ばして差し込まれていた名刺を手に取る。
それを一瞥するとビリビリと細かく破り始めながら再び墨林へと視線を落とし歩を進めた。
墨林の傍までくると細々とした紙切れとなり果てた名刺を墨林の上から落とす。
「俺ァ自分のもんを他人に触られるのが許せねぇ質でねぇ。あんた、こいつに触らなかったか?」
墨林は大きく何度も首を左右に振るが高杉はそれには目もくれず床に刺さったままだった刀の柄を掴んだ。
「ま、待ってくれ。私じゃない!そ、その女に触ってたのは佐々木だ!」
「そうかい。それじゃぁ後でそいつにもそれなりのもんを返して貰わねぇとなァ」
「ひ、だ、誰か」
及び腰でもたつきながら逃げようと背中を向けた墨林を高杉は容赦なく斬りつけた。
脅し程度で済ませるだろうと思っていた土方もそれには驚き慌てて高杉へと駆け寄る。
「ちょ、高杉。そいつにはまだ取り調べを」
「そんなもんできるわけねぇだろ」
「は?」
「こいつぁ幕府の連中が今すぐ葬りたくて手ぐすね引いてた野郎なんだからな。そうだろう?」
刀に付着した血を払いつつ高杉が佐々木に問いかけた。
客が一人残らずホールを出ていった中、佐々木は何食わぬ顔でその場に立ち携帯電話で何やら操作をしている。
いつまで経っても答えを返してこない佐々木に問いかけた高杉よりも土方の方が焦れ「佐々木!」と声を荒げた。
「土方さん。お仕事完了お疲れさまです」
「はぁ!?まだ説明を聞いてねぇ!!」
「説明も何も見た通りでしょう?潜入捜査中に捜査対象がテロリストの奇襲に遭って死亡。これが事実です」
そう言うと佐々木はパチリと携帯電話を閉じてようやく土方へと視線を向けてくる。
「よろしければ屯所まで車でお送りしますけど」
「おい!」
「必要ねぇ。行くぞ」
佐々木が唐突にしてきた申し出を高杉が勝手に断り土方の腰に右腕を回しながら歩くよう促してきた。
「ちょ、待てって。俺は佐々木に」
「説明なら俺がしてやる」
淡々と声をかけてくる高杉を怒鳴りつけるため、佐々木に向けていた視線を高杉へと移した。
しかし口を開く前に高杉の左手が唇と顎を覆い、強く力を込められる。
「これ以上、俺の目の前で他の野郎の名前を呼ぶんじゃねぇ。いいな?」
静かでありながらも奥に激しい怒りを感じさせる重々しい声音に、思わず気圧された土方は小さく首を縦に動かし、促されるまま足を進めた。
パーティーが催されていた老舗のホテルを出た土方は高杉に引きずられるように裏路地へと連れ込まれ、そのまま奥にあった場末の出会茶屋へと入る。
ずっと無言だった高杉に、土方は黙って付いてきたが、布団の上でのし掛かられると戸惑いながら高杉の肩をそっと押しやる。
「高杉?どうしたんだよ」
「腸が煮えくり返って仕方がねぇ」
首筋に唇を這わせてくる高杉に小さく吐息を漏らしながら「何が?」と問い返す。
「これぁ俺が用意したもんだ」
「これって?」
手早く土方の帯を緩め、裾を割り足の間に身体を差し挟んできた高杉が手のひらで太股を撫でた。
「帯も着物も襦袢も俺がお前ェの為に用意したもんなんだよ」
「でも、これは」
佐々木が用意したもののはず。
そう続けられるはずの言葉は高杉の唇によって塞がれ声として発せられることはなかった。
噛みつくという表現が似合いそうな深い口づけを何度となく施される。
「来島を言い含めてあの野郎が船から持って行きやがった。何に使うかと思えば俺を呼び寄せるために使うとはな」
上がる息を整えながら、土方は必死に高杉の言葉を聞こうと耳を傾ける。
「俺がさっき殺した豚は幕府の重鎮たちをオークションに参加させて後ろ盾に利用してた。だが最近は手広くやりすぎて天人連中に目ぇつけられたみてぇでな。手に負えなくなった幕府の連中が始末を佐々木に命じたようだ」
「接客婦の、神隠しは?」
「あ?」
「幕府の重鎮が贔屓にしてた接客婦が浚われたんだろ?」
「あの腐った野郎どもが女の一人や二人消えたところで騒ぎ立てるかよ。あいつらの頭にゃ自分たちの保身と薄汚ぇ自尊心しかねぇ」
どうやら全て佐々木のでたらめだったらしい。
いいように利用されたと解った土方は苛立ちを隠せず舌打ちをする。
「言っておくがお前ェより俺の方が胸くそ悪ぃ思いをしたんだからな」
「何でだよ!俺は佐々木に利用されたんだぞ!?」
「お前ェは仕事の一環だろうが。俺は欠片の興味もねぇ野郎の後始末に引っ張り出された」
「佐々木の思惑なんか放っておけばよかっただろ!」
「そうすることも出来たのに出来なかったのが腹立たしい」
「あ?」
「あの野郎はお前を自爆テロの犯人に仕立てでも豚を殺すだろうよ。だがやすやすと見殺しにするにはお前ェは惜しい奴だからな」
そう言いながらようやく笑みを浮かべた高杉に土方は自身の頬が紅潮してくるのを感じる。
高杉の性格上、自分の意に反することは絶対にしない。
それはテロ活動であってもそうだ。
そんな高杉が大勢の前にテロリストとして顔を出し、わざわざ墨林を殺してみせたのは他でもない土方のため。
それを面と向かってはっきりと宣言されると妙に気恥ずかしい。
そして何より今の高杉は普段と違って洋装姿なのだ。
先ほどまでは無言であった高杉への戸惑いと佐々木への怒りで気にならなかったが、洋装姿の高杉に見下ろされていることが面映ゆくてたまらなかった。
目のやり場に困った土方はゆらゆらと視線をさまよわせる。
「土方?」
怪訝そうに声をかけてくる高杉をまともに見ることが出来ず、口元を手の甲で押さえながら目線を反らした。
しばらく沈黙が続き、その間も高杉が自分を見つめていることが感覚でわかった土方は高杉と目が合わないようとうとう顔を背ける。
そうしていると高杉から押し殺すような笑い声が聞こえてきた。
「そういやぁ久しぶりに洋装なんざ着たもんだから勝手がわからねぇ。お前ェは慣れてんだろ?脱がせてくれや」
高杉はそう言って口元を覆っていた土方の手を取りスカーフネクタイを留めていたタイリングへと持っていく。
「そんな複雑なもんじゃねぇだろうが!」
明らかにからかっているであろう高杉に、土方はそう怒鳴り返しながら自身の手を高杉の手の中から引き抜いた。
そしてその手で高杉の肩を押し退けつつ身体を起こす。
「いい加減、上からどけ!俺は帰る!」
「まだ説明が済んでねぇだろ」
「は?全部佐々木の企みなんだろうが」
「そっちじゃねぇ」
土方は高杉に強く肩を押さえ込まれたせいで再び布団へと背中をつけることとなった。
またもや高杉を見上げる形になった土方は、瞳に苛立ちを含みつつ高杉を睨む。
「俺ぁ前に言ったよなァ」
「何をだよ!」
「他の野郎に不用意に触らせるな。そうお前に言ったはずだ。身体にも散々言って聞かせたつもりだったが足りなかったようだな」
微笑みながら頬を指の背で撫でてくる高杉に土方は言葉を失い息を飲んだ。
張り付く喉を震わせながらなんとか「でも」と言葉を発する。
「あれは、仕事で」
「ほう。つまりお前ェは仕事であれば他の野郎にケツを撫で回させてやる。そう言いてぇのか」
「ちがっ、それは佐々木が勝手に」
「あぁ、佐々木な。あいつにはそれなりのモンをもらわねぇと割に合わねぇ」
「そういうのは本人に」
言ってくれと続けようとした土方を遮って高杉が「あの野郎なら」と言葉を続けた。
唇に弧を描きながらも瞳には全く笑みを感じさせない高杉に土方は背筋が寒くなる。
高杉がこういう顔をしている時、口から出てきた言葉に土方はろくな思い出がない。
「お前が一週間ほど真選組に帰らなくても上手く処理してくれるだろうよ」
「ちょ、ま」
「俺を不愉快にさせた責任をとれ」
そう唇を寄せてきた高杉に身を凍らせる恐怖よりも甘美な歓喜を感じてしまった時点で土方の負けだった。
仕方がない。
土方はそう内心で諦めという名の言い訳をしながら高杉の首筋へと片腕を回し、先ほど触れたタイリングをスカーフから抜き取った。


END
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