新しい家族



世間でも過激派攘夷浪士と名高い鬼兵隊には、なぜか5歳の子どもがいる。
鬼兵隊の首領である高杉が妊婦を船へと連れ帰りその妊婦が産んだ子どもだ。
その妊婦というのも、鬼兵隊を捕縛するための組織、真選組のかつての副局長である土方十四郎が天人の薬によって女体化し子供を身ごもった姿であった。
高杉と土方は互いに惹かれあい、土方の子どもが産まれた後も、そのまま子どもとともに鬼兵隊に残り生活するようになった。
組織の中に子供がいるということもあり、鬼兵隊では常日頃から食事の時間はきっちりと定められている。
朝七時半、昼一二時半には緊急の任務や船を操縦している者を除いて、みな食堂へと集まり食事をする。
ただ、夕食は子供に合わせて早めにとるというのはいささか難しいこともあり、銀四郎は土方と高杉の自室で食事をさせている。
それもこれも銀四郎のしつけにいいからと、鬼兵隊内の教育係のようになっているまた子の提案であった。
朝が弱い高杉は朝起きて朝食を食べに行くという面倒くささに、始めはぶつぶつ言っていたが、次第に慣れ朝食の場には必ず土方や銀四郎とともに現れるようになっている。
今日もいつも通りの時間に目が覚め、隣で眠る銀四郎へと声をかけた。
「起きろ、朝だぞ」
「うーん、あと五分・・・」
小さくこんもりと膨らんだ布団の中からくぐもった声でそう告げてくるのを聞き、高杉は容赦なく布団をめくりあげる。
「いいから起きろ。俺だってもっと寝てぇんだよ」
布団をはぎ取ると眠気眼の銀四郎が目をしぱしぱさせていた。
「父さまの意地悪・・・」
口をとがらせそう文句を言った後、ゆっくりとその小さな身体を起こし、自分の隣で眠る土方へと声をかけた。
「母さま、おはよう」
「・・・あぁ」
少しかすれた声で返事をしながら、布団を重そうに押し上げ、土方が起きあがる。
艶やかな黒髪が白い襦袢の肩口へと流れるのと同時に、土方の白く細い指が自身の顔を覆った。
目覚めのいい土方にしては珍しいその様子に、高杉は訝しげに声をかける。
「どうした?体調でも悪いのか?」
「いやちょっと身体が重い感じがするだけだ」
「それを体調が悪ぃっつうんだよ」
そう言いつつ高杉は土方へと近づき、そっと土方の額と自身の額を合わせる。
常ならば高杉よりも体温の低い土方だが、合わせた額からは土方の暖かい体温が高杉へと伝わる。
「少し熱があんな。今日は寝てろ」
「ん、わかった。銀四郎に」
「あぁ。飯なら俺が連れてく」
「頼むな」
「おめぇには後で粥でも作らせて持ってきてやるよ。だからさっさと横になれ」
高杉にそう言われ土方が再び布団へと身体を預けると、高杉と土方の間に銀四郎が身体を割り込むようにして入ってきて、土方へと話しかけてきた。
「母さま大丈夫?お身体の具合悪いの?」
「大丈夫だ。寝てればすぐ直る。」
「でも・・・」
心配そうに顔を曇らせる銀四郎の頭を優しく撫でつつ、ふわりと笑みを浮かべる。
「大丈夫だから。お前は朝食を食べて来い」
「やだ!母さまが食べないなら僕も食べない!」
「銀四郎・・・」
少し困ったような顔をする土方に対し、銀四郎の背後にいた高杉が容赦なく銀四郎の頭を叩く。
「痛っ!」
「てめぇ何言ってやがる。おめぇが飯くわねぇと土方も心配して食えなくなるだろうが。ちゃんと食わなきゃ土方の身体は悪くなる一方なんだぞ。それでもいいのか?」
「・・・よくない」
「だったらちゃんと飯を食え」
「はい」
叩かれた頭に手を添え、痛みで生理的な涙を浮かべつつ頷いた銀四郎に向けて高杉が言う。
「おめぇが飯食ったら土方の朝食をお前が運べ。土方の身体を治すための大事な仕事だ」
高杉の言葉に銀四郎はその大きな黒目をキラキラと輝かせて何度も繰り返し頷く。
「母さま!待っててね!僕すぐにご飯食べて母さまのお食事持ってくるから!!」
そう告げると銀四郎はパタパタと部屋を出ていった。
「ったく、一人で勝手に行きやがって・・・」
部屋の扉を見つめつつ、そう呟いた高杉に土方は小さく笑う。
そんな土方へと高杉が視線を移すと、土方は笑みを浮かべ、少しかすれた声で「ありがとな」と告げた。
そんな土方に高杉も口角を上げ笑みを返した後、口を開く。
「礼言う暇があったらちゃんと休んで身体を治せ」
そう言って軽く熱を確かめるように土方の前髪を軽くあげるとそこに口づけを落とした。
「戻ってくるまで大人しく寝てろよ?」
高杉の言葉に土方が頷いたのを確認し、高杉も部屋を後にした。


「おはよう!また子ちゃん!」
食堂に勢いよく入った銀四郎は、入り口付近にいた鬼兵隊幹部来島また子に声をかける。
声をかけられたまた子は笑顔で「銀四郎、おはようっス」と返した後、銀四郎が一人で食堂に来ていることに気づき、首を傾げた。
「銀四郎、一人っスか?」
「うん!早くご飯食べて母さまのご飯を運ぶんだ!」
「は?何言ってるっスか?」
また子がいっそう首を傾げていると、背後から「入り口で立ち止まるな」と声がかけられた。
「あ、おはようございますっス!晋助さま!」
「あぁ。それより来島。土方が微熱を出してる。厨房に行って粥を用意するよう言っとけ」
「え!?土方、風邪っスか!?すぐに言ってくるっス!」
食堂奥にある厨房へとかけていったまた子をみやったあと、高杉は傍らにいる銀四郎に「行くぞ」と声をかけ食堂へと入る。
高杉と銀四郎が食卓へつくと、配膳係が朝食の乗った膳をを持って来た。
「おはようございます、高杉さん、銀四郎」
「あぁ」
「おはようございます!」
「あれ?十湖さんは・・・」
「ちょっと体調が悪いらしくてな」
「え!?それは大変じゃないですか!!すぐに身体にいいものを用意させ」
「今、来島に粥を用意させた」
「見舞いの花束とか」
「いらねぇよ」
「でも、身体にいいからフルーツの盛り合わせとか」
「だからいらねぇっつってんだろ?とにかく、さっさとてめぇは膳を机におけ!」
「あ、すみません」
ずっと持ったままだった膳を高杉と銀四郎の前に置く。
するとすぐに銀四郎は手を合わせ、「いただきます!」と声をかけると銀四郎用のフォークで朝食を食べ始めた。
「ちゃんとよく噛んで食べろよ?」
「ふぁい・・・っうっ!ぐ」
「ほらみろ。おら、水飲め」
ご飯を詰まらせた銀四郎にコップの水を与えつつ、高杉もゆっくりと食事を進める。
そんな高杉に膳を持ってきた部下は遠慮がちに声をかけた。
「あのー、十湖さんの容態は・・・」
「微熱がある程度だ。だから大げさに騒ぐんじゃねぇ。大勢で部屋の前をうろちょろされる方が身体に障るからな」
「・・・はい」
「お前らが心配してたことは土方に伝えておく」
「はい!よろしくお願いします」
直立不動の姿勢を作り、そのまま90度で礼をして去っていった部下を見送り、高杉はため息をつく。
「人気者の奥方を持つと大変でござるな」
そう声をかけつつ、高杉の前へと座る者がいた。
来島と同じく鬼兵隊幹部の河上万斉だった。
そんな万斉をちらりとにらんだ後、高杉は膳へと視線を移す。
「風邪でもひいたでござるか?」
「さぁな。今のところ微熱程度だが大事をとって休ませた」
「土方殿が病気になると鬼兵隊内が落ち着かなくなるでござるからな」
「まぁ仕事中にも関わらず土方の世話焼こうと群がる連中が増えるのは確かだな」
「それだけではござらん」
「あ?」
「ぬしも気がそぞろがちになるでござろう?」
「んなこたぁねぇ」
「現に今、嫌いなはずの椎茸を食し終えてしまうほど気がそぞろでござるよ」
万斉に言葉に高杉は自分の膳へと目を落とせば、普段であれば口にしないであろう椎茸の姿煮を全て食べ終えていた。
口内に残る椎茸独特の香りを濁すためお茶を飲む高杉に、万斉は色眼鏡の奥の瞳を細める。
「早くよくなるといいでござるな」
「すぐよくなるよ!僕が朝ご飯を運ぶんだから!」
高杉が万斉の言葉に返す前に、高杉の隣にいた銀四郎が身を乗り出すほどの勢いで言った。
「ほう。そのために急いで食べているでござるか?」
「うん!」
「おや?でも先ほどまた子が自分が持っていくと厨房の者に言っていたでござるよ」
「・・・そういや粥を頼むって言っただけで銀四郎が運ぶ云々は説明してなかったな」
高杉の言葉に銀四郎はショックを隠せない様子で目に涙を浮かべ始めた。
「父さまのバカバカバカー!ぼ、僕が、母さまのお食事を運ぶ、重要な・・・お仕事ぉ、う、」
「わかったわかった。今から言ってきてやるから泣くんじゃねぇ。俺が行ってくる間、ちゃんと食ってろよ」
泣きながらモソモソと食事を続ける銀四郎に小さくため息をつき、高杉は立ち上がり厨房へと向かった。
厨房にいたまた子に粥は銀四郎が運ぶと告げると、重い土鍋ではなく、アルミ製の鍋で粥を温め直し盆へと載せた。
それを高杉が持って銀四郎の元へと行くと、食事を終えた銀四郎が待ちかねた様子で盆へと手を伸ばしてきた。
「落とすなよ?」
そんな銀四郎に、高杉はそう声をかけつつ軽く腰をかがめ、手にしていた盆を銀四郎へと手渡す。
しっかりと両端を握った銀四郎はそのまま食堂の出入り口へと向かって歩きだした。
高杉もそれについていく様子だったので、同じテーブルで朝食をとっていた万斉が高杉へと声をかける。
「晋助、ぬしの朝食がまだ残っているでござるよ?」
「あ?食いたきゃ勝手に食えや」
「そう言う意味ではないのでござるが・・・」
そうぼやく万斉を無視して高杉はよたよたと歩く銀四郎の後ろを歩き土方が寝ている部屋を目指す。
食堂と寝室は少し距離があるため、土鍋よりは軽いアルミ製の鍋とはいえ、ずっと盆を持っていると重いんじゃないかと思い、高杉は銀四郎へと尋ねた。
「重くなったら言えよ?」
「大丈夫だよ。僕、もう五歳だよ?これぐらい持てる」
「そうかい。そりゃ悪かったな」
はっきりと答えてきた銀四郎に小さく笑った後、銀四郎の歩調に合わせて普段よりゆっくりと部屋へと向かう。
ようやく土方がいる部屋までたどり着き部屋の扉を開けると、部屋の中から土方の声がした。
寝ているはずなのにと不審に思いつつ高杉が部屋の襖を開けば、布団に入って起きあがっている土方が耳に携帯電話を当てて誰かと話していた。
「あ、母さま起きてる!!」
同じく部屋に入ってきた銀四郎がその姿に声を上げると、土方は機械に向けて笑いながら何事かを告げた後、ボタンを押して傍らへと置いた。
「誰からだ?」
高杉の問いに土方は笑いながら「万斉たちだ」と返す。
先ほどまで食堂で一緒だった男の名に高杉は小さく眉をひそめる。
「お前が朝食を残したまま出ていったから叱ってくれとさ」
土方はクスクスと笑いながら高杉に向けて言った。
「あ、あと、嫌いな椎茸を食べたから褒めてやれって」
「俺はガキかなんかか。ったく、どうせお前が心配で電話かけてきたんだろう?」
「まぁそれもあるかな。また子があとで見舞いに来るって言ってたし」
「あいつ、結局来るのか」
そう話す二人の間に立ったまま、銀四郎は重みで手を震わせつつ土方へと声をかける。
「母さま・・・!ご飯持ってたよ!」
「あ、あぁ、ありがとう。重かっただろ?」
土方はそう言って銀四郎を手招きすると、枕元に盆を置くよう促した。
それに従いそっと盆を置いた後、銀四郎は満面の笑みを浮かべて土方へと言葉を返す。
「これくらい大丈夫だよ!」
「そうか。さすが銀四郎だな」
土方はそう言いながらふわりと笑みを浮かべ、銀四郎のフワフワとした銀色の髪を優しく撫でる。
その手の感触を嬉しそうに受けた後、銀四郎は盆の上の取り皿を手に取る。
「僕が食べさせてあげるね!」
「え?いや」
「出来んのか?」
銀四郎の言葉に戸惑いの表情を浮かべた土方に対して、銀四郎の隣に腰を下ろしていた高杉がニヤニヤと口角をあげながら銀四郎へと尋ねた。
「それぐらい出来るよ!待っててね!母さま!」
「いや、自分で」
食べれるという言葉を土方が紡ぐ前に、銀四郎は鍋の蓋を開けて、おぼつかない手つきでレンゲを使って取り皿へと粥を移す。
そして取り皿に移した粥をレンゲに少し載せ、小さな口から吐息を吹きかけ冷ますと、その手を動かし自分の口元へと運んだ。
その様子を見ていた高杉が喉奥で笑いながら「おめぇが食ってどうすんだよ」と声をかけると、銀四郎はハッとした様子で土方に向けていった。
「ち、違うよ、母さま。今のは味見!味見だから!間違えたわけじゃないからね!!」
どこか必死な様子でそう言う銀四郎に小さく笑みを浮かべながら土方は頷き返し、「ちゃんと美味しかったか?」と尋ねる。
「うん!ばっちり!これを食べればきっと母さまも元気になるよ!」
そう言った後、銀四郎は再びレンゲに粥を少し掬って冷ましたあと、少し持ち上げ土方の口元へと運ぶ。
土方の方も少し身を屈めてレンゲから粥を口に含んだ。
「おいしい?母さま」
「あぁ。美味しいよ」
土方にそう言われ、銀四郎は嬉しそうに顔を綻ばせながら何度も土方へと粥を食べさせた。
そんな母子の様子を高杉は傍らで黙ってみていたが、ふいに銀四郎が自分を振り返ってきたので「なんだ?」と口を開く。
銀四郎はその問いには答えず、レンゲを取り皿の中で動かし粥を掬うと、それを高杉の方へと持ち上げる。
銀四郎の意図が分からず高杉が怪訝な顔をすると、銀四郎は笑みを浮かべて告げる。
「父さま、ちゃんと朝ご飯を食べてなかったでしょう?」
銀四郎の言葉に土方が小さく笑ったため、高杉は憮然とそちらを見た後、銀四郎に言葉を返す。
「そりゃ土方のだろうが」
高杉にそう言われ、銀四郎は「あ」と小さく声を漏らして土方の方へと視線を移す。
その視線を受け土方は笑いながら言った。
「いいよ、銀四郎。食べさせてやれ」
土方の許しを得た銀四郎は再びレンゲを持ち上げて高杉へと向ける。
それでも渋い顔をしている高杉に、銀四郎は再び言葉をかける。
「父さま!ちゃんと食べないと母さまに叱られちゃうよ!?」
それを聞き、耐えきれないとでも言うように土方は吹き出し、声を上げて笑った。
高杉はそんな土方にムッとしながら視線を送るが、その視線に気づいた土方は笑いながら「さっさと食え。叱られたいのか?」と言葉を告げる。
そんな土方の言葉をまともに受け取った銀四郎は、少しあわてた様子で高杉にレンゲを持ち上げる。
「と、父さま!早く食べないと・・・!」
銀四郎の顔に心配そうな表情が浮かんでいるのを見た高杉は軽く嘆息を吐いてレンゲへと口を付けた。
高杉が粥を食べたのを確認した銀四郎はホッとした様子で土方へと向き直った。
「父さま、今ちゃんと朝ご飯を食べたから後は褒められるだけだね!」
笑みを浮かべてそう言う銀四郎に、土方は小さく小首を傾げかけたが、ふと先ほどの万斉の言葉を思い出し、「あぁ」と思わず声を漏らす。
「椎茸のことか?」
「うん!僕も椎茸好きじゃないし!父さま偉いよね!」
土方はそれ聞いた後、満面の笑みの銀四郎から憮然としたままの高杉へと視線を移す。
「褒めんでいい」
眉根を寄せたまま一言返してくる高杉に土方は笑みを浮かべつつそっと高杉へと腕を伸ばす。
そして高杉の紫紺の髪を撫でつけるように手のひらを動かし、「偉い偉い」と告げた。
高杉は土方の手首を掴んで自分の頭上から外させ、土方を見つめたまま小さく呟く。
「てめぇ、熱下がったら覚えとけよ、土方」
「ふふ、お手柔らかにな」
そう笑みを浮かべつつ土方は自分の手首から外された高杉の手にそっと自分の手を重ねる。
重ねられた手のひらを高杉は掴んで持ち上げると、その白く滑らかな手のひらにそっと口づけを落とした。
「なぁに?何してるの?父さま?」
それを見ていた銀四郎が不思議そうに高杉へと尋ねる。
高杉は土方の手のひらから唇を離したあと、銀四郎に向けてニヤリと笑みを浮かべた。
「早く治るまじないだ」
「じゃぁ」
僕もすると銀四郎が口を開きかけたのを遮るように「ただ」と高杉が続ける。
「これは俺だけが使えるまじないだからお前にはできねぇ」
「えぇー」
銀四郎は不満げな声を上げ、土方へと向き直る。
「母さまぁ。僕にもできるおまじないはないの?」
口をとがらせて言う銀四郎の頭を撫でてやりながら土方は優しく告げる。
「朝食を食べさせてくれただろ?それだけで充分だ」
そう言って土方は銀四郎の額にそっと口づけを落とす。
その感触に銀四郎は少し照れたようにはにかむと土方の腰元に抱きつく。
「早くよくなってね!母さま」
土方は抱きついてきた銀四郎の頭を撫でながら小さく頷いた。


朝食を食べ終えた万斉の前に、同じく朝食を食べ終えお茶を啜る同僚の武市がいた。
「そうですか。土方さんが風邪を」
そう呟く武市に万斉は「そうらしいでござるな」と返し、言葉を告げる。
「でもそんなに酷い風邪ではないらしい。微熱だと晋助も言っていたでござる」
「微熱?」
「そうでござるよ」
“微熱”という言葉になぜか思案顔をした武市を万斉は不思議そうにみやる。
「どうしたでござるか?」
「いえ。先日も微熱があるようなことを言っていた気がしたので」
「土方殿がでござるか?」
「えぇ。そのときは身体がだるくはなかったのでしょうね。元気に動き回ってましたから」
「なるほど。風邪の予兆でござったか」
納得した様子で頷く万斉に、武市は一言「二週間近く前のことですけどね」と告げた。
「二週間?」
「えぇ。それぐらい前の話です」
「風邪の予兆にしてはずいぶん長い潜伏期間でござるな」
「だからおかしいなぁと思ったんですよ」
かすかに首を傾げる武市と万斉の元にデザートのフルーツを皿に載せたまた子がやってきた。
「どうしたんスか?二人してそんな神妙な顔して」
万斉の隣に座ったまた子を斜め前に座っていた武市がみやる。
そして「土方殿のことですよ」とまた子の問いに答えた。
「土方がどうかしたっスか?さっきの電話では元気そうだったっスけど」
また子は先ほど万斉の携帯越しに聞いた土方の声を思い出す。
身体がだるいだけでそんなに辛くはないと土方自身が言っていた。
たまに自分の体調に反して無理をする土方だったが、その声音から体調を把握できるぐらいの長さをまた子は土方と一緒にいるつもりだ。
その自分が聞いても土方の声はとても元気そうだった。
だからこそ神妙な顔をして土方の話をしている二人に首を傾げるしかなかった。
「いえ、体調が悪いのを心配しているわけではなくてですね。2週間前の風邪が今日発症することなどあるのだろうかという話をしてたんですよ」
「え?2週間前?」
「えぇ。私の記憶では2週間前も土方殿が微熱があるという話をしていたような気がしたので」
武市の言葉にまた子は自分の記憶をたどってみた。
確かに少し前にも微熱があるという話を土方がしていたことがあった。
それも二週間ではなく、一月以上も前の話だった。
そのときは微熱の他に眠気と軽い身体の倦怠感があるという話を土方はしていた。
そんなことを思い出しつつ、また子はふと何かがひっかかった。
銀四郎を出産してから2年後、土方は身体が女性化して初めて月経を体感した。
知識だけはあったのだろうが、思ったよりも腹痛が酷くまた子に薬をもらいに来ていた。
土方の体質もあるのか、その後も毎月、月経が来るたび辛そうにしていたはずだ。
でもその姿をこの2、3ヶ月見ていない。
ちょうどこの2、3ヶ月の月経が軽いものだったのかもしれない。
でもまた子はもしかしてという考えが捨てられず急いで器の中のフルーツを口に詰め込む。
そんなまた子に驚いた万斉が「どうしたでござるか?」と声をかけてきたが、また子はそれに対しては返事をせず、フルーツを飲み込み、二人に向けて言う。
「ちょっと行ってくるっス!!」
バタバタと食堂を走って出ていくまた子に武市と万斉は「どこに?」と声を揃えつつ首を傾げた。


また子は食堂から全速力で船内を走り土方の部屋へと向かい、土方が休んでいる部屋の前へと到着するとその扉を勢いよく開き駆け込んだ。
「土方!!」
そう声を張り上げつつ部屋に入ってきたまた子に土方は小さく首を傾げたが、土方の傍らにいる高杉は不機嫌そうに眉根を寄せた。
「来島、てめぇ入るときはノックぐらいしろ」
そういった高杉に合わせるように土方に抱きついていた銀四郎も土方の腰元に押しつけていた顔を部屋の出入り口付近へと向けて口をとがらせる。
「また子ちゃん、もっと静かに入ってこれないの?母さまがビックリしちゃうでしょ?」
二人からそう言われたまた子は思わず「すみませんっス」と小さく謝ったが自分の用件を思いだし二人に向かって言った。
「晋助さま。ちょっとの間だけ土方と二人で話させてもらえませんか?」
「話?なんのだよ」
「いや、あの、それは土方と二人だけで話したいんで・・・」
怪訝な顔で睨みつけてくる高杉にまた子は困ったような顔で言葉を濁しつつ、土方へと視線を向ける。
また子の視線を受けた土方は高杉と銀四郎に出ていくよう言葉をかける。
不満そうな二人だったが土方に諭され渋々といった様子で立ち上がり部屋を出ていった。
二人が扉を閉めたのを確認したまた子は土方へと身体を詰める。
「どうした?」
そう尋ねられたまた子は背後にある部屋の扉を少し振り返った後、土方の耳に自分の口をよせ、外に聞こえないよう小さな声で言葉を伝える。
「最近、アレ来てるっすか?」
また子が小声で尋ねてきたので、土方も自然と声のトーンを落とし「アレって?」と尋ね返す。
「月のものっスよ」
「あぁ、アレな。・・・そういやここんとこ来てねぇな」
「やっぱり!!」
突然、声を大きくしたまた子に驚いた土方がかすかに柳眉を寄せ首を傾げてまた子をみやった。
「なにがやっぱりなんだ?」
土方の問いにまた子は再び小声に戻して一言告げる。
「おめでたじゃないっスか?」
「・・・は?」
「いやだから、最近ずっと微熱があるみたいだし、身体もだるかったりするんスよね?」
「あぁ、まぁな。でもだからって・・・」
「ありえないことじゃないっス。てかちゃんと避妊とかしてるっスか?」
土方はまた子からされたあからさまな問いに頬をかすかに染めつつ「して、ない」と返して赤くなった顔を片手で隠す。
また子はそれを聞くと土方の傍らから離れ部屋の奥へと入り戸棚へと向かう。
その姿を目で追っていると、また子はおもむろに戸棚の扉を順に開け始めた。
「何してるんだ?」
「諒闇先生からもらった紙袋どこっスか?」
諒闇というのは鬼兵隊が利用している裏の医者の一人ではあるが、銀四郎の出産の頃から土方は世話になっており、半年に一度、健康診断をしてもらっていてつい4ヶ月ほど前にもしてもらったばかりだ。
その際に諒闇からいくつか常備薬が入った紙袋を毎回もらっているため、また子が探しているのはそのことだろうと気づいた土方はまた子が探っていた戸棚の上の方を指さしつつ答える。
「それなら上の戸棚に今までのもまとめて入ってるぞ」
「中身見たっスか?」
「いや。薬とか好きじゃねぇから飲むつもりなくてそのまま」
そう言う土方の答えを聞きながらまた子は戸棚の一番上の引き戸を開け、紙袋の束を手に取ると、その一つの封を開けて中身を漁り始めた。
そして目当てのものがあったのか、ぴたりと動きを止め、何かをつかんだ状態で袋から手を出す。
握っていた指を開き、手の中のものを見つめながら「やっぱ入れてたっスね、あの爺さん」と呟く。
そんなまた子に土方はゆっくりと立ち上がりまた子の傍らに立ち、また子の手のひらをのぞき込む。
手の中には長方形の箱があり、その箱には体温計のような器具の写真がついていた。
「なんだ?それ」
「妊娠検査薬っス」
「え!?なんでそんなものが・・・?」
「あの爺さん検診に来る度にそろそろ次の子供ができるんじゃないかとか言ってたっスからね」
「そういや、そうだな」
土方自身はいつもの世間話だと思って聞き流していたが、相手の方は心配していたのか気を利かせたのかは解らないが妊娠を確認できる器材を常備薬の中に入れておいたらしい。
「まぁとりあえず使ってみるっス」
そういってまた子は土方へと箱を手渡す。
手渡しつつ「やりかたわかるっスか?」と尋ねてくるまた子に「なんとか」とぎこちなくうなずき返して箱を受け取りトイレへと向かう。
土方が出てくるのをそわそわしながらまた子は部屋をうろついて待った。
少ししてトイレの扉が開くのと同時にまた子は土方へと駆け寄り「どうだったっスか!?」と詰め寄った。
トイレから出てきた土方はどこか惚けた様子で「陽性、だった」と告げた。
「ホントっスか!?」
また子がそう尋ねると土方は緩慢な動作で腕を曲げ、手にしていた検査薬を持ち上げた。
それを傍らからのぞき込んでみると、判定ラインの他にもう一つラインが浮き上がっており、土方のいうとおり妊娠検査薬は陽性反応を示していた。
「よかったっスね!」
また子がそう笑顔で言うと土方はどこか狼狽えた様子でまた子の着物の袖を握った。
「え、ちょ、どうしよう」
「どうしようって嬉しくないんスか?」
「嬉しいよりなによりなんかビックリして実感が」
「そんなもんスか?まぁいいやとりあえず晋助さまに」
「待った!」
部屋の外にいる高杉を呼ぼうとしたまた子を土方は声を上げて止める。
その理由とまた子が問う前に土方が口を開いた。
「確定するまで言わないでくれ」
「確定って今、検査を」
「病院に、行ってくる」
「諒闇先生のとこっスか?」
「あぁ」
「・・・わかったっス。私も付いていくッスよ」
どこか緊張した面もちをしている土方の肩をまた子がそういって笑顔で軽く叩く。
そんなまた子に土方は少しホッとしたような
表情を浮かべて頷いた。

土方が寝間着から町着用の着物に着替え終えると、また子とともに部屋の外へと出た。
そこにはイライラした様子で待っていた高杉と退屈そうにしゃがんでいる銀四郎の姿があった。
二人は着替えている土方の姿にそろって目を丸くして土方とまた子の前に立ちはだかった。
「身体の調子が悪いのにどこに行くつもりだ、土方」
「母さまおでかけするの?なら僕も!僕も連れてって!」
言っていることはバラバラだったが土方を行かせまいと廊下を塞ぐように二人が並んでそう言ってくるため、土方は二人に向けて少し困ったような笑みを浮かべて言う。
「病院に行くだけだ。すぐに戻る」
そう言った土方に高杉はかすかに隻眼を細めて土方をみやる。
「具合が悪いのか?だったら俺が」
付いていくと続けようとする高杉を遮るように、また子が挙手しつつ「大丈夫っス!土方にはこのまた子がお供するっスから!」と言いながら高杉と土方の間へ身体を滑り込ませる。
「僕も!僕もオトモさせて!」
「すぐ戻ってくるから。いい子に留守番しててくれ。銀四郎なら留守番ぐらい簡単にできるだろう?」
足下に抱きついてくる銀四郎の頭を優しく撫でつつ土方がそう言うと、銀四郎は少し考えるような顔を見せたあと土方を見上げて満面の笑みを浮かべる。
「うん!僕、お留守番できる!」
「そうか、偉いな」
軽く銀四郎の頭を撫でていると、高杉が間にいたまた子の脇を通り土方へと近づくと、表情には出さないが土方を案ずるように優しく土方の頬に指を滑らせる。
「ホントに大丈夫なのか?」
「あぁ。大丈夫だ。少し検診をしてもらうだけだから」
高杉の指を自身の手で覆いながら土方は笑みを浮かべる。
高杉はそんな土方の瞼に軽く口づけを落としつつ「気をつけろよ」と言葉をかけると「解った」と返した後、土方も高杉の頬に唇を触れさせ「行ってくる」と告げる。
そんな二人をどこか照れながらまた子が見つめていると銀四郎が空気を二人の壊すかのように「僕も僕も!」と手を挙げた。
そんな銀四郎に苦笑しつつ、土方は銀四郎の額に口づけを落とした。
「行ってらっしゃい、母さま」
「あぁ。留守番頼むな」
「任せて!父さまの面倒は僕がちゃんとみとくから!」
「おい・・・」
銀四郎の言葉に高杉が顔を歪めたのを小さく笑った後、土方はまた子とともに船を下りた。
諒闇の診療所は今日の町の裏の裏にあり、患者も少なく諒闇自身すら来ていない時もある。
しかし診療所へと向かう道すがら、また子が諒闇へと携帯電話で連絡を入れておいたため、診療所につくと諒闇が出迎えた。
診察の間、また子は待合室で諒闇が出したお茶とお菓子を頬張りながら待った。
机の上に菓子袋がだいぶたまり始めた頃、諒闇とともに土方が待合室へと戻ってきた。
二人が入ってきた瞬間、また子は椅子から腰を上げて「どうっスか?」と諒闇に尋ねる。
すると諒闇は笑みを浮かべて「母子ともに健康そのものじゃ」と頷いた。
それにホッとしつつ隣の土方へと視線を移すとなぜか浮かない顔をしていた。
「土方?どうしたっスか」
また子がそう尋ねると土方が答える前に、諒闇が年相応の皺以外に新たに眉間に皺を作り困ったように目尻を下げつつ言った。
「なんだか迷うておるようでのう」
「迷う?何をっスか?」
「産むかどうかじゃろ」
「え!?産まないつもりなんスか!?」
諒闇の言葉にまた子は驚きを隠せず土方へと声を張り上げて尋ねる。
また子の問いに土方はどう言おうかと思案しているようですぐには答えが返ってこなかった。
それに焦れたようにまた子は次から次へと言葉を投げかける。
「なんで産まないんスか?晋助さまの子供、産みたくないんスか?なんか問題でもあるんスか?理由はなんスか?晋助さまのこと好きっスよね?なのに何で」
言葉をかけ続けるまた子の頭を諒闇が軽く叩き、言葉を止めさせた。
「一度に聞きすぎじゃ馬鹿者」
「すみませんっス・・・」
頭を押さえつつそう呟くと、また子はじっと土方を見つめて土方の言葉を待つ。
部屋に沈黙が流れると土方はゆっくりと腹へと手をやり、帯の上からそっと撫でる。
「・・・産みてぇよ」
そうポツリと落とされた言葉にまた子がだったら産めばいいと口を挟む前に土方が「でも」と小さく続ける。
「産んでいいのかわかんねぇんだ」
「え?」
「銀四郎の時とは違う。あいつの時は一人で産んで一人で育てるつもりだったから産んだんだ。でも、こいつは・・・」
そう言って土方は自身の腹を見つめ撫で続ける。
「産むとなればそれなりに手間もかかるし面倒が増える。お前たちには迷惑しかかからねぇ」
「そんなの今更っスよ!私ら全員、銀四郎の世話でなれてるっス!」
「今まで以上に大変になるだろ?そんなの嫌なんだよ」
「・・・子供の世話なんてしたくないってことっスか」
「違ぇよ。そうじゃ、なくて・・・」
土方は言葉を詰まらせ顔を俯かせると、その顔を腹を撫でていた手とは反対側の手で覆う。
「分かんないっス。あんたが何を言いたいのか。何を考えてんのか。私にはさっぱり分かんないっスよ」
そんな土方をまっすぐ見つめながらまた子は尋ねる。
また子からしてみたら妊娠の事実を知れば土方は喜ぶものだと信じきっていた。
仲睦まじい二人の間に子供ができたとなればそれは喜び以外の何者でもない。
そうであるはずなのに妊娠に戸惑い出産を躊躇う土方の姿は理解できなかった。
土方の姿はまるで子供が出来たのが嫌だとでも言うようであった。
また子から見て、高杉と土方はあれほど思い合う二人でいるはずなのに、今の土方の様子からは土方が高杉への気持ちすら否定してしまっているように見えてまた子は不満で仕方がない。
そんな気持ちのまま土方を見つめ続けていると土方が顔を覆いながらボソボソと話し始めた。
「嫌なんだ。今のままでいい。今のままが、いいんだ」
今にも泣き出しそうな様子でそう譫言のように呟いた土方を、また子は先ほどとは違った気持ちで見つめ直す。
そんな二人の間に挟まれた諒闇はどうしようかとまた子と土方を交互に見やっていた。
しばらくの沈黙ののち、また子が土方を見つめたまま「あんたもしかして」と呟いたため、諒闇はまた子へと視線を移す。
諒闇の視線を受けたまた子は机と椅子の間から身体を出すと土方へと近づく。
土方の傍らに立ち俯いたままの土方の両肩を支えるように掴むと、また子は諒闇に向けて言った。
「診療ありがとうございました。とりあえず帰るっス」
「え、じゃが」
「大丈夫っス。私じゃダメっスけど晋助さまがなんとかするっスよ」
また子はそう言うと土方の肩から手を離し背中を軽くポンポンとさするように叩き「帰るっスよ、土方」と声をかける。
また子の言葉を聞いた土方は覆っていた手を外し、また子を見つめる。
「あんたの言ってること、私にはやっぱ分かんないっス。でもこれだけは言えるっス。もう一人子供が産まれて手間も面倒も増えたとしても私は土方が好きっスからね」
それに対して土方は小さく瞳を揺らがせるだけだったが、また子はもう一度軽く背を撫でてやり帰るよう促した。


船に戻ったまた子と土方が自室へと入ると、そこには当然のように土方を待っていた高杉と銀四郎の姿があった。
「母さま!お帰り!!」
土方が部屋に入るのと同時に、銀四郎は読んでいた本を傍らに置き、勢いよく立ち上がると土方へと駆け寄った。
部屋の入り口に駆け寄ってきた銀四郎に、土方は膝を曲げて銀四郎と視線を合わせると銀四郎の頭を撫ぜつつ「ただいま」と告げる。
しかし銀四郎は土方の言葉に小首を傾げ、「どうしたの?」と尋ねた。
「え?」
「母さま、どこか痛いの?」
そう言いながら心配そうに土方の両頬を小さな手の平で包んだ。
銀四郎の言葉に、土方はようやく自分が上手く笑えていなかったことに気付く。
「お身体の具合、悪くなっちゃった?」
「いや、大丈夫だ」
「でも…」
尚も言葉を続けようとする銀四郎に、土方の傍らにいたまた子が声をかける。
「銀四郎。ちょっとの間、私と来るっスよ」
「え?ヤダ」
「なんで即答なんスか!?」
「母さまといたいもん」
「土方は晋助さまに話があるんスよ」
「お話?僕も一緒に聞いちゃダメ?」
銀四郎はまた子にではなく、自分の目の前にいる土方へとかすかに首を傾けながら尋ねた。
そんな銀四郎に土方は「ちょっとの間だから」と言いながら、そのフワフワとした銀色の髪を撫でる。
銀四郎は不満そうな顔をしつつも小さく「わかった」と告げるとまた子の足元へと移動する。
それと同時にまた子が銀四郎の背を押し、部屋を出ていこうとするが、その合間にも銀四郎は心配そうに土方を振り返り、立ち上がった土方の顔を見上げた。
それに対し、土方は笑みを返したつもりだったが、その笑みはどこか辛そうに歪み銀四郎の心配を煽った。
思わず足を止めかけた銀四郎にまた子が「大丈夫っスよ」と言葉を漏らす。
その言葉に釣られてまた子の顔を見上げれば、また子も土方の方へ視線を向けているようで銀四郎には白い顎元にか目に入らなかった。
「土方は大丈夫っス。晋助様がいるんスから…」
銀四郎に言って聞かすというより、ただの独り言のような言葉を口にした後、また子は銀四郎と共に部屋を後にし、そっと扉を閉めた。
部屋の奥で寝転びながら書物を眺めつつ土方の帰りを待っていた高杉は、その体勢のまま閉じられた扉をちらりと見た後、いまだに入り口で立ち尽くしている土方へと目をやった。
それを不審に思いつつ「上がらねぇのか?」と声をかけると、土方は答えを返さずぎこちなく頷き、履物を脱いで部屋へと足を踏み入れた。
自分へと近づいてくる土方を見つめながら、高杉は身体を起こすとその場に座りなおし、土方もその前にゆっくりと座した。
高杉の前に身を置いた土方は、小さく口を開きかけたが、そこから声が発せられることはなく再び閉じられ、また何かを告げようと開かれるということを何度も繰り返した。
その様子に怪訝そうに眉根を寄せた高杉は「何だよ」と土方に対して先を促す。
先を促されても土方はいまだに言いあぐねた様子で、口の開閉を続け、最終的に「やっぱいい」と小さく掠れるような告げ、その顔を俯かせた。
そんな土方に痺れを切らした高杉は土方へと近づき俯いた土方の顎に手を掛けると、自分と顔を合わせるように上を向かせた。
「いいわけねぇだろ?帰ったときから辛気臭ぇ顔しやがって。…言えよ」
そう言われた土方は、間近に迫る隻眼の強い視線を受け止めきれず、そっと目線を落とす。
逃れようとする目線に追い討ちをかけるように高杉が土方の名を呼ぶと、土方の口からかすかに声が漏れ聞こえた。
それがよく聞き取れなかった高杉は「なに?聞こえねぇよ」と聞き返すと、土方は唇を一度強く結んだあと、意を決したように「子どもが、出来た」と告げる。
「あ?子ども…?」
言われた言葉を口に出して繰り返し、その内容を脳内で反芻した高杉は軽くため息をつくと、ようやく土方の顎を掴んでいた手を離した。
「んだよ、無駄にビビらせやがって…」
高杉は肩を落としつつそうぼやくと、土方へと向き直る。
そしていまだにどこか泣きそうな顔をしている土方に、不機嫌そうに言葉をかけた。
「おめぇなぁ、懐妊の報告ならそれらしくもっと明るい顔して帰って来いや。そんなツラして帰ってくるから不治の病かなんかかと思っただろうが」
高杉の言葉に、土方は高杉を見つめながら「産む、のか?」と消え入りそうな声で尋ねた。
その問いに高杉は「あ?産まねぇのか?」と土方へと尋ね返した後、土方の様子に怪訝そうな表情を浮かべる。
高杉の前にいる土方の顔は普段からは想像もつかないほど不安げで、その薄墨色の瞳は今にも溢れんばかりの涙が滲んでいた。
「なんでそんな顔してんだよ」
そう声をかけつつ高杉は土方の頬に手のひらを添える。
それを待ち望んでいたかのように添えられた手に涙が染み込んでいった。
手を添えていない方の涙はそのまま土方の頬を伝い始めたが、それすら高杉は落ちないように自身の舌で舐め取っていった。
溢れ出る雫を唇で塞ぎつつ、高杉は常にないほど優しく穏やかな声で土方へと呼びかける。
その呼びかけが泣いている理由を尋ねているのだと感じ取った土方は、泣き声が混じりそうになるのを抑えつつ必死に言葉を紡ぐ。
「だって、子どもが産まれたら、手間がかかるんだぞ?」
「わかってらぁ、そんなこと」
「思うようにいかねぇことだって、あるし」
「あぁ」
「お前には、迷惑しか、かかんねぇし」
「迷惑だなんざ思ってねぇよ」
「今はだろ!?」
突然そう叫ぶと、土方は高杉を押しのけて激昂しながら言葉を続ける。
「俺はもともと女の身体だったわけじゃねぇ!その身体でもう1人子どもを産むことになればそれなりに負担がかかって思うように世話できねぇかもしれねぇんだぞ!?そしたら大変になるのは俺じゃねぇ……お前たちの方なのに…っ!」
そう紡がれた言葉は最後の方には力をなくし、土方が顔を右手で覆ったために聞こえづらくなっていった。
それでもその内容は高杉へと届いており、高杉は頭を抱えてうな垂れる土方をじっと見つめ続け、おもむろに「それで?」と口を開いた。
高杉の言葉に土方は反応を示さず、いまだ俯いたままだったが、高杉は押しのけられて出来た距離をつめながら再び声をかける。
「俺たちが大変になるからなんだよ。おめぇは手間がかかるのが嫌なだけじゃそんな風にならねぇだろ?」
土方の身体が高杉の言葉に反応するように小さく跳ねた。
それに気付きつつ高杉は言葉を続ける。
「おめぇ、子どもの世話が面倒になったら、俺がお前のこと追い出すとか考えてんじゃねぇだろうな?」
高杉の問いに土方は否定も肯定もしなかった。
しかしかすかにすすり泣くように震える土方の肩が高杉の問いに同意を示していた。
そのことに高杉は深呼吸でもできそうなほど深いため息をついた。
「おめぇはホントに、馬鹿すぎるほどの馬鹿、だな」
あえて言葉を区切るように告げた高杉に、土方は少し顔を上げて高杉を見つめれば、心底呆れたように土方を見返しており、土方は思わずたじろいだ。
「迷惑がかかるだぁ?産後で体調が悪いお前に代わって、銀四郎の夜鳴きに付き合ったのは誰だと思ってやがる。それが面倒だったっつーならとうの昔におめぇを追い出してるだろうが」
高杉にそう言われた土方は、ふと銀四郎を産んだときの事を思い出す。
女性化と出産という大きな変化に土方の身体はすぐには対応できず、銀四郎を産んだ後2ヶ月ほど土方の体調が戻らず、その間、鬼兵隊の面々も子どもの世話はしていたものの、主に高杉が銀四郎と体調の優れない土方の傍らにずっと寄り添っていた。
生まれたての赤子の世話については、土方よりも高杉の方が詳しいと言っても間違いではないほどだ。
それを改めて思い出した土方は「それもそうか…」と呆然とした様子で声を漏らす。
「それによぉ」
高杉はそう言いながら土方の頬で乾きはじめている涙の後を指で拭う。
「前にも言っただろうが。土方十四郎の人生は全て俺のモンになったってなァ。おめぇをここに閉じこめることはあっても、追い出すなんざありえねぇ。てめぇは死ぬまで俺の傍らにいんだからよ。……そうだろ?十四郎?」
高杉によって耳元へと吹き込まれたかつての自分の名に、土方は普段であれば閨を思い出し顔を紅く染め上げるところだが、今日はそれに促されるかのように再び涙腺が緩み瞳が涙を滲んだ。
溢れそうな雫をそのままに、土方は何度も頷きつつ高杉の胸元の着物を握り締めた。

銀四郎がまた子の部屋で読み書きの練習をしていると、また子の部屋の扉がノックされ、銀四郎の前に座っていたまた子が立ち上がり、部屋の扉を開けた。
扉の向こうにいた人物にまた子は小さく声を漏らしたが、相手の表情を見てそれに釣られるように嬉しそうな笑みを浮かべた。
「もう大丈夫っスか?」
「あぁ。ありがとう、また子」
「いえいえ。どういたし」
「母さま!!」
また子の言葉の途中で、土方の声が耳に入った銀四郎が部屋の奥から飛び出してきた。
「もう痛くない?」
「あぁ。大丈夫だ。銀四郎も心配かけたな」
そう言いながら銀四郎の頭を撫ぜる土方の口元にはふわりと綺麗な微笑が浮かんでおり、それを見た銀四郎もまた子もホッと胸を撫で下ろした。
「みんなにはいつ言うっスか?」
「高杉が全員が集まりやすい明日の朝食の場で伝えるって言ってた」
「うはぁ!ドキドキするっすねぇ!みんな喜ぶっすよー」
まるで自分のことのようにウキウキしているまた子に、土方は顔を綻ばせていたが、そんなまた子を銀四郎は土方の足元にしがみ付きながら不思議そうに見上げた。
「また子ちゃん。どうしてそんな嬉しそうなの?」
「どうしてって!…あ、銀四郎には言ってなかったっスね」
また子がハッとしたのと同時に、土方が膝を曲げて銀四郎に視線を合わせる。
「もうすぐ赤ちゃんが生まれるんだ」
「また子ちゃんに?」
「な、違うっスよ!私じゃなくて土方にっス!!」
「母さまに?」
「あぁ。お前はもうすぐお兄ちゃんになるんだよ」
「僕が、お兄ちゃん?」
「あぁ」
ゆっくりと頷いた土方を見つめた後、銀四郎は「お兄ちゃん…」と口の中でその響きを確かめた後、はにかんだように笑みを浮かべる。
そして土方へと向き直り力を込めて言った。
「僕、弟でも妹でも絶対可愛がるよ!面倒もみるし!」
「あぁ。頼りにしてるぞ」
土方に頭を撫ぜられた銀四郎は「うん!」と大きく頷き満面の笑みを土方へと向けた。


それから7ヵ月後、土方は無事に女児を出産した。
今回も高杉は前回と同様に出産に立ち会い、土方の次に赤子を抱いた。
顔は銀四郎と同じように土方に似た面差しだったが、髪の色は高杉に似て紫がかった黒髪をした赤子であり、それに自分の子だという実感が増した高杉は疲れた様子の土方に思わず礼を述べ、土方はそれに対して嬉しそうに笑みを返した。
土方の産後の体調も、二度目の出産ということもあり、当初考えていたよりは大きな体調不良は起きず、赤子に母乳をやることができていた。
それならば、と鬼兵隊の面々は早速、銀四郎の時と同じように名前を決めるための会議を開くことにしたが、今回は土方や高杉も含めて行うことにした。
大広間に集められた面々はそれぞれ自分が考えた名前を次から次へと上げていき、すぐに正面のホワイトボードが名前でいっぱいになった。
それを眺めつつ武市が「決まりそうにないですねぇ」と嘆息を吐くと、その傍らにいたまた子が椅子に座っている高杉と土方に尋ねた。
「晋助さまは何か拘りの名前とかないんスか?」
「あ?呼びやすけりゃなんでもいいんじゃねぇのか?」
自分の膝の上にいる赤子をあやしつつ、高杉がそう答えると万斉は呆れたような視線を送り「ペットの名前ではござらんよ?」と苦言を漏らす。
そのことに高杉はムッとしながら赤子へと向けていた柔らかな視線を万斉を睨みつけるものへと変える。
「んなことぁ解ってんだよ。誰も変な名前を付けろとは言ってねぇだろうが」
万斉はやれやれと嘆息を吐いた後、土方に向けて「土方殿は何か要望とかござらんか?」と尋ねた。
「要望か…」
そう呟きながら赤子を見つめ少し思案した後、土方はふと隣の高杉へと目をやり、「あ」と言葉を漏らした。
「なんだよ」
高杉が問いかけると土方は高杉に向けて笑みを浮かべながら「紫って字を使いてぇな」と返す。
「紫?」
怪訝な顔をする高杉に、土方はそっと手を伸ばしてサラリと高杉の髪を指ですいた。
「高杉の髪の色と一緒だ」
そう蕩けそうな笑みを浮かべながら言う土方に、高杉は軽く口の端を持ち上げた後、髪を撫でる土方の指に自分の指を絡めた。
高杉は指を絡めたまま土方の手を引いて自分へと近付けさせると、まるで喉でも鳴らすかのような表情で土方へと軽く口付け、土方も抵抗することなく笑みを浮かべながらそれを受け入れた。
唇を離した高杉は土方と瞳を合わせ、一言「紫乃だ」と告げる。
「しの?」
「あぁ。こいつの名前は“ムラサキ”に漢字の“ノ”で紫乃だ」
「いい名前だな」
そう言って頷いた土方に「だろ?」と同意を示した後、背後にいる万斉たちを振り返った。
「ってことで決まりだ」
「結局、晋助が決めるのでござるな…」
「ま、まぁいいじゃないスか、万斉先輩!紫乃ちゃん、可愛いっス!!」
「そうですねぇ。先が楽しみな名前ですね」
武市の言葉に部屋が静まり返る。
「?なんです?」
「武市先輩が言うとなんか違った感じに聞こえて不気味っス」
「失礼ですね。いつも言ってるでしょう?私はただのフェミニ」
「解散でござるな」
武市の言葉を遮るように万斉が手を打ちながらそう言うと、がやがやとざわめきと共に会議室から人が出て行き始めた。
「俺たちも部屋に戻るぞ」
高杉はそう土方に声をかけ、土方の傍らに座っている銀四郎にも声をかけようとしたが、銀四郎の表情を見て隻眼をかすかに細める。
口をへの字に曲げ、不満そうな心情が顕に出ている銀四郎に「どうした」と高杉が声をかけると、銀四郎は「なんでもない」と一言返し、椅子を飛び降り部屋を駆け出て行った。

土方が部屋にあるベビーベッドに眠った紫乃をそっと置くと、下から着物を引く気配がした。
それに釣られて目をやれば銀四郎が薄い絵本を手に土方を見上げていた。
「どうした?銀四郎」
「このご本よんでくれる約束したでしょう?母さま」
「ん?あぁ。そうだったな。おいで」
土方は笑みを浮かべて頷くと、銀四郎の手を引いベビーベッドから少しはなれた場所へと座り、その傍らに銀四郎を座らせた。
2人で覗き込むように絵本を読んでいるとベッドで寝ていたはずの紫乃が大きな声で泣きはじめた。
そのとたん、土方は絵本を置いて立ち上がりパタパタと紫乃の元へと近づく。
紫乃を抱き上げあやしている土方の傍らに立ち、銀四郎は再び土方の着物を引っ張ったが、土方は少し困ったような顔をして銀四郎に言った。
「銀四郎。すまないが本は後で読んでやるから、今は1人で遊んでいてくれないか?」
「やだ。だって母さま、この前もそう言って、読んでくれなかったよ?」
「銀四郎はお兄ちゃんだろう?もうそろそろ1人で本も読めるだろ?」
「僕は母さまに」
銀四郎の声を掻き消すかのように紫乃の泣き声が部屋に響き渡る。
「すげぇ声だな」
そこに会合を終えちょうど戻ってきた高杉が軽く耳を押さえつつ部屋へと入ってきた。
「高杉…。さっきようやく寝たと思ったんだが……」
「おめぇ紫乃が寝始めたらすぐに横たえただろ?温もりがすぐに消えると目が覚めやすいらしいぜ?」
抱きかかえられている紫乃を覗きこみながら高杉がそう言うと、土方も「そうなのか」と驚きつつ再びうとうとし始めた紫乃の顔を見つめた。
それを見ていた銀四郎は頬を膨らまし、ツカツカと高杉と土方へと近づくと、思い切り高杉のすねを蹴り上げた。
「って!」
「え?…あ、銀四郎!何してるんだ!」
「母さまなんて大っ嫌い!!」
そう叫ぶとバタバタと部屋を飛び出して行った。
「あ、こら、銀四郎!ちゃんと謝れ」
土方は慌ててそう声をかけたが銀四郎の姿はとっくになく、軽く嘆息を吐いた後、蹲っている高杉に大丈夫かと尋ねた。
「あぁ。大丈夫だ。ったく、あいつはこういうときもお前に当たらず俺に当たりやがって…」
高杉はそうブツブツ言いながら蹴られたすねを撫でた。
「悪い、高杉。なんか銀四郎のやつ、ここんとこ言うこと聞いてくれないんだ。この前も夕飯を食べないってごねたりして…」
抱えた紫乃の背をリズムよく叩きながら土方が困ったような顔でそう言うと、高杉は「まぁよくあることだろ?」とため息をつく。
「よくあること?」
不思議そうに尋ねてくる土方に、高杉は顔を上げて土方を見つめる。
「おめぇ、弟とか妹とかいんのか?」
「いや、一応兄弟はいるが一番上の兄以外とは疎遠だった」
「ふーん。そりゃ一人っ子と変わらねぇな」
「お前は兄弟いるのか?」
「いや、いねぇ」
「だったら一緒じゃねぇか」
「…そうでもねぇさ。突然現れたやつに居場所を取られる苛立ちはよくわかる」
「は?」
高杉の言葉に土方は怪訝な声をあげ、先を促そうとしたが、高杉はそれに答えることなく立ち上がり、土方の頭を軽く叩いた。
「銀四郎は俺が見に行ってやるからおめぇは紫乃の世話してろ」
「え、でも」
「大丈夫だ」
心配そうな表情をする土方にヒラヒラと手を振りながら、高杉は先ほど入ってきたばかりの部屋を出た。
土方の部屋を出てしばらく歩いた先で高杉は銀四郎を見つけた。
廊下の端で蹲るようにして顔を伏せている銀四郎の傍らへと高杉が立つと、銀四郎はゆっくりと顔を上げて高杉の方を見た。
「土方じゃなくて悪かったな」
高杉がそう言うと銀四郎は不満そうに顔を歪めて再び顔を膝へと埋める。
「おめぇ、紫乃が嫌いか?」
「嫌い、ではないよ」
「そりゃ偉ぇな。俺ぁ嫌いだったぜ」
高杉の言葉に銀四郎は顔を上げて高杉を見つめる。
「俺には尊敬する人がいてなぁ。…優しくて厳しい人だった。その人はみんなの先生だったはずなのに、突然、養い子とかいうガキが現れた。そいつぁ普段からクソ生意気な上に先生には反抗的でムカツク野郎でよぉ」
言いながら昔を思い出したのかイライラし始めた高杉を見て、銀四郎は「父さま?」と声をかける。
銀四郎の声にハッとした高杉は小さく咳払いをし、「とりあえず先生の視線を独り占めするそいつが憎らしかったって話だ」と続ける。
高杉の話を聞き、銀四郎はしばらく高杉を見上げていたが、今度は顔を伏せることなく真っ直ぐ前を見ながらポツリと言葉を漏らした。
「僕はね。僕は、紫乃が憎らしいわけじゃないんだ。僕は紫乃のお兄ちゃんだし、しっかりしなきゃって思うんだけど…、母さまが、全然、僕のこと見てくれないのが、寂しいんだ…。母さまは僕だけの母さまだったのに…」
「それで土方の言うこと聞かずに困らせてんのか?」
「困らせたいわけじゃないんだよ?母さまに困った顔されると、あぁこんな顔させちゃダメだなっていっつも後悔するんだ。でも、でもさ」
そこまで言って再び顔を伏せた銀四郎を高杉はジッと見下ろしおもむろに「赤子はよぉ」と口を開く。
「自分のしてぇことが言葉にできねぇからあぁやって泣き喚くんだぜ?」
「自分の、したいこと?」
銀四郎はゆっくりと顔を上げて、自分を見下ろす高杉と視線を合わせると、小さく首を傾げながら尋ねた。
「あぁ。腹が減った。下着が汚れた。寝心地が悪い。どれも主張方法は一緒だ。でもおめぇは違ぇだろ?寂しいってのちゃんと土方に伝えたのかよ」
銀四郎が首を左右に振ると、その頭を高杉は軽くかき混ぜるようにして撫ぜる。
「おめぇには紫乃とは違った主張方法があって、紫乃よりももっとたくさんできることがあんだろ?」
頷いた銀四郎の頭に手を載せたまま、高杉は諭すように「まずおめぇが出来る事でしなきゃいけねぇことはなんだ?」と尋ねる。
「…母さまに、大嫌いなんていってごめんなさいって謝る事」
「そうだな。後は?」
「母さまに寂しいって伝えて、母さまに紫乃の世話で僕が出来ることがないか聞いてみる」
「…土方ばっかだな」
「え?」
「俺への謝罪はねぇのか。足、痛かったぞ?」
「あ、忘れてた…」
本気で忘れていた様子の銀四郎に高杉は呆れたような視線を銀四郎へと送る。
それを受けて慌てたように銀四郎は言い募った。
「ご、ごめんね、父さま!なんか自分のことで頭いっぱいで!でもでも、父さまのことどうでもいいとかじゃないからね!母さまの方が好きだけど、父さまもすっごく好きだし!」
必死な様子の銀四郎に高杉は小さく笑い「まぁいいさ」と再び頭を撫ぜる。
「ねぇ父さま?」
「なんだよ」
「父さまはその憎らしいって思ってた人と仲直りは出来たの?」
銀四郎の問いに高杉の手が思わず止まる。
「父さま?」
「たぶん、一生仲直りする気はねぇな…」
「どうして?」
高杉が銀四郎の問いかけに答えるよりも先に、銀四郎がこちらへと近づいてくる土方の姿を見つけ、急いで立ち上がりパタパタと土方の元へと駆け寄っていってしまった。
「どうしてだぁ?決まってんだろ?奪われたくねぇんだよ。土方のことも、おめぇのこともな……」
高杉は聞こえてはいないであろう答えを呟いたあと、ゆっくりと歩き出し、泣きながら抱きついてくる銀四郎を宥めている土方の元へと向かった。


END
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