高誕


手にしていた一本の花を花立へと差し入れつつ高杉は「悪いな」と声をかける。
相手からは何の言葉も返ってこない。
それは最初から解っていたたため言葉を続けた。
「本当ならあいつが来る予定だったんだが、俺がここへ向かう途中のあいつをかっ浚っちまった。そのせいで今年はあんたのところには来れないそうだ」
夏の強い日差しを真っ直ぐに浴びているその相手はおそらく高い熱をその身に帯びているだろう。
花だけでなく水桶も持ってくるべきだったろうかと高杉は一瞬だけ思ったが、身内でもない自分がそれを手にやって来るのもおかしいし、ここを管理している者に水桶を借りに行って素性がバレるのも不味い。
相手に水をかけるのは諦めて物言わぬ石をジッと見つめる。
土方為五郎と刻まれたその石。
ここに来るはずだった土方十四朗の兄の墓だ。
もうすぐ盆の時期であり、世間が盆休みに入る前に土方もここへ墓参りに来る予定を立てていたらしい。
それが一昨日のこと。
しかし予定よりも早めに江戸へ入っていた高杉が土方を偶然見つけ、そのまま近くの宿屋へと連れ込んだ。
普段滅多に会えないことに加え、翌日はちょうど高杉の誕生日。
今さら一つ年をとったことに喜ぶような年齢でもないが、生まれた日を心寄せる者と過ごせるならば、その方が良い。
結局、宿屋で組み敷いた土方を高杉は日付を跨いで日が高く上りきった後も解放することができず、土方の非番は高杉の手によって全て消化されることになった。
それを不満そうに土方は高杉へと悪態をぶつけてきたが、情事後を匂わせる潤んだ瞳と艶かしい吐息の合間に告げられたせいで何の威力もない。
もともと誕生日の夜には会う予定であったのだし、高杉としても土方の言葉は単なる照れ隠しの一種だと思っていたのだがどうも違うらしい。
それに気づいたのは土方が口にした今年は行けそうもないという言葉だった。
『行けそうもないってどこか行く予定だったのか?』
『兄の墓参りにな。俺は毎年早めに盆休みをとるからそん時に行ってんだよ』
『お前ェ毎年俺の誕生日に合わせてんだな』
『…違ェ。警察ってのは世間が連休の時は逆に休みがとりにくいってだけだ』
戯れに言ったつもりだったが、唇を尖らせた土方の表情と答えるまでの一瞬の沈黙からして図星のようだ。
それに気を良くして思わず笑みを浮かべると土方は眉間に深い皺を刻んで『煙草!』と声を張り上げた。
身動きができないせいで煙草を吸えないらしい土方の口元に高杉は自身がくわえていた煙管を持っていく。
『盆明けには行けねぇのか?』
『そう頻繁に休みなんざとれねぇよ』
おそらく土方以外はきちんと規定通りの休みを得ているのだろうと思いつつ高杉は『そうかい』と返しつつ土方がくわえている煙管へと手を伸ばす。
その手に合わせるように土方が息を吸い込み火皿の中が赤く灯った。
『いつもどんな墓参りしてんだ?』
高杉がそう尋ねるとふわりと煙を口から吐き出しながら『大したことはしてねぇ』と土方が言葉を返してくる。
『義姉さんがきれいに掃除してくれてるからやることもないし、俺はただ花供えるだけだ』
『花?』
『あぁ。向日葵を一輪だけな』
『墓に向日葵とはこれまた酔狂だな』
『兄が好きだった花なんだよ』
『向日葵を?何でだ』
高杉の問いかけに対して土方は知らないと言いながら高杉がくわえている煙管に手を伸ばした。
その手に煙管を渡すことなく高杉は土方の手を取ると覆い被さるように唇を重ねる。
『お前じゃなくて俺は煙草が欲しいんだけど?』
『煙草は明日でもいいが俺は今日しかいねぇぜ?』
『…夜には屯所に帰るからな』
高杉は手にしていた煙管を近くのたばこ盆へと置き、土方を抱き締めながら京に戻る日程をずらすことを決めた。
そしてその翌日の今日、ここへとやってきたのだ。
墓石の前に立った高杉は、どうせなら手を合わせた方がいいのだろうかと思案する。
ここへは墓参りができないとぼやいていた土方の代わり来たが、高杉にはここに眠る故人に向けて何か語るべき言葉を持ち合わせていない。
親族への挨拶らしく、“恋人として土方と共に歩き、彼を幸せにします”などとできもしないことを誓えとでもいうのだろうか。
高杉は自嘲しながら煙管を取りだし口にくわえて墓石を見つめる。
「あら?どちらさま?」
墓参りの時期にはまだ早いだろうに、水桶とひしゃくを持った女が近寄ってくる。
高杉に声をかけたということは目的は高杉の目の前の墓だろう。
「主人のお知り合いの方かしら?」
「いや、ただの通りすがりだ」
首を傾げる女にそう告げて立ち去ろうときびすを返した高杉を女が腕を掴んで引き留める。
「もしかしてあの子の、トシのお知り合いなのではなくて?綺麗な向日葵ね。きっと主人も喜んでいるわ」
高杉が花立てに生けた花を見つめながら嬉しそうに目を細める女に、高杉は再び「勘違いだ」と返すのが躊躇われ、とりあえず腕を放すよう促す。
女は「あら、ごめんなさいね」と笑みを浮かべながら高杉から腕を離して墓石へと近づきしゃがんだ。
少し顔をうつ向かせて手を合わせる女の頭を背後から見つめていた高杉だったが、少し視線をずらした先で風に揺れる向日葵が目に入り頭上の笠を深くかぶり直す。
「…向日葵が好きだったそうだな」
「主人のこと?」
「あぁ」
「どうして好きだったかはご存じ?」
「いや。あいつは知らないと」
そう高杉が言うと女は楽しげに「あの子らしいわ」と笑い声をあげた。
「向日葵はね。あの子が初めて育てた花なの。綺麗に咲いた向日葵をあの子は主人にって持ってきて…。それが嬉しかったんでしょうね。それ以来、向日葵は主人の一番好きな花なのよ」
女は手を合わせたまま墓石を見上げており、高杉はその背に「そうか」と言葉を返した後、そっとその場を離れる。
草履が地面に敷き詰められた小石を擦る音を聞きながら高杉は口許の煙管を手で弄びつつゆるりと笑みを浮かべる。
土方は知らないと言ったが、女の言い方からして土方も故人が向日葵を好んでいた理由を知っていたのだろう。
自分が初めて育てた花だから兄は向日葵が好きなのだとは照れ臭くて言えなかったのかもしれない。
確かにあいつらしい。
土方はバカみたいに真っ直ぐなくせにどうしようもなく意地っ張りで不器用なところがある。
その性格ゆえに感情を素直に口に出さない事が多い。
しかも高杉と土方は互いに敵対する組織に身を置くため、相手に言えない事も多く胸のうちにある。
それでも高杉は、土方の胸に高杉にだけ向けられる感情があることを疑わない。
それは高杉よりも遥かに長い時間を土方と過ごしているであろう真選組の連中にでさえ決して得られないもの。
もし万が一、高杉の他にそれを得ている人間がいるのだとしたら、高杉は迷いなくそいつを殺すはずだ。
土方から狂おしいほどの恋情を向けられるのは自分だけでいい。
絡めた指先、交わした視線、合わせた唇、重ねた肌。
言葉など発しなくとも、土方はこれらの全てで高杉への気持ちを語る。
恋情や愛情だけでなく、切なさや悩ましさですら表情一つ仕草一つで雄弁に語る土方に愛しさを感じる反面、少しの憂いを感じてしまう。
墓に眠る土方の兄は土方の幸せを望んでいるに違いない。
しかし、それを高杉が与えられることは万に一つもありえず、土方との関係の先にあるのはおそらく決別か死。
そうと解っていても互いが互いを手放せないほど惹かれ合ってしまった。
先ほど墓に向けて土方を幸せにする云々は語れなかったが、どれだけ強く土方を想っているかは語れたかもしれない。
高杉は薄く笑みを浮かべながら口元の煙管をくわえ直して墓場を出た。


ずいぶんと懐かしい夢を見た気がした。
高杉は瞼を閉じたまま緩慢な動作で腕を持ち上げ自身の傍らへと伸ばす。
最近は目覚めてすぐこうすることが習慣になっていた。
かつては数えられるほどしか夜を共に出来なかった土方が、今では当然のごとく隣で眠っている。
高杉は起きる度にその喜びを実感するため腕を伸ばして土方を抱き締めていた。
今日もいつもと同じように腕を伸ばしたが、その腕は何かをとらえることなく薄い掛け布団の中を自由に動き回る。
それを疑問に感じてゆっくりと瞼を持ち上げて隣を見やれば傍らにいるべき存在がいない。
確かに高杉が眠りに就く前はここにいたはずだ。
それどころか昨日は日付が変わる寸前まで身体を重ね、高杉の誕生日である今日を迎えた瞬間に艶のある吐息混じりの声で祝いの言葉を贈られた記憶がある。
だから寝起きに誕生日祝いを口にして欲しかったわけではないが、誕生日の朝に伴侶である自分に何も告げずにさっさと床を後にするとは何事か。
高杉はここにいない土方に不満を抱きながらベッドから出ると下着と寝巻きの下部分だけを身に付けて寝室の扉を開ける。
土方を探そうと思ってのことだったが、探すまでもなく土方は寝室を出た先の廊下で誰かと電話をしていた。
土方は高杉が身に付けている寝巻きの上部分だけを羽織っており、こちらにはまだ気がついていない。
高杉はゆるりと笑みを浮かべながら気配を殺して土方の背後へと近づき、腕を土方の肩と腹に巻き付かせながら土方の身体を抱き寄せた。
それに少し驚いたように土方は小さく目を見開かせて高杉へと視線を向けたが高杉を振り払うことはなくふわりと微笑みを向けてくる。
土方の反応に気をよくした高杉は軽く羽織っていただけの寝巻きから覗く白い首筋に口づけを落とし、薄く口を開いて軽く食んだ。
それに呼応するように腕の中の土方が小さくみじろいだかと思うと、携帯電話を持っていない方の手で軽く髪を引っ張られる。
やめろということなのだろう。
高杉はそれ以上、唇を這わせることなくただ土方を抱き締める。
もし電話の相手が土方の友人であったならば気にすることなく土方の全身を愛撫しているところだが、土方の話し方からして電話の相手は義姉らしい。
「うん、大丈夫だよ。今日は仕事も休みだし。…うん。じゃ、あとで」
通話を終えた土方にどうかしたのかと尋ねると土方は苦笑しながら「為兄がぎっくり腰で入院だって」と返してきた。
「そりゃ大変だな」
「為兄はたいしたことないって言ってるらしいんだけど、義姉さんが心配してるからちょっと行ってくる」
そう言って高杉の腕の中から出て自室へと向かう土方の後を高杉はついていく。
「俺が運転してやるよ」
「それは助かるけど、休みぐらい家でゆっくりしたいんじゃないのか?」
「お前がいなきゃ家にいても一緒だろうが。だいたい今日は俺の誕生日だぞ?お前ェがいなくてどうすんだよ」
高杉はそう言うと土方の唇に軽く唇を重ね「それに」と言葉を続けた。
「それに?」
「いや、なんでもねぇ」
首を傾げて問いかけてきた土方に再び口づけをして答えを濁した高杉は、土方の部屋の隣にある自室へと向かう。
部屋に入りクローゼットから洋服を取り出しながら、先ほど言いかけた言葉を脳裏に浮かべた。
“それに昔はお前の兄貴より俺の誕生日を優先させちまったからな”
今朝がた夢にみた土方は盆に墓参りに行けないと言っていたが、あの年以来、土方は盆ではなくいまだ盆の声を聞かない7月末に墓参りに行っていた。
真選組の組織が大きくなるにつれ、責任者である土方は皆が休みを取りたがる盆には休みを取りにくくなったのだろう。
それでも高杉の誕生日にはたとえ巡回の合間の数時間であっても高杉との会瀬に費やしていたし、半日だけではあるが非番をとっていたこともある。
土方に自分のためなのかと問うたことはなかったが、毎年その日付けに合わせていることからして明らかであった。
土方にとって近藤が率いる真選組の仕事は何を置いても大切なものであったし、兄の存在も土方の人生の中でとても重要なものだったはず。
それらを差し置いて、高杉の誕生日に合わせて時間をとるということがどれほど特別な意味合いを持つものなのか。
脳内で弾き出した答えに高杉は喉奥で小さく笑い声を立てる。
「なに笑ってんだ?」
突然かけられた声に、扉の方へと顔を向けると着替えを終えた土方が訝しげにこちらを見つめていた。
高杉は笑みを浮かべたまま腕を伸ばして土方の腰へと巻き付けると力を込めて身体を引き寄せる。
特に逆らうことなく土方は高杉の腕の中へと収まったが、高杉を見やる眼差しにはいまだ怪訝さが含まれていた。
問いかけようと再び口を開きかける土方の唇を自身のもので塞ぎ、口内を貪るように嘗め尽くす。
土方の唇の端から溢れ落ちかけた唾液を舌で拭いとり、高杉は隻眼を細めて息の上がった土方をみやった。
「お前ェは昔も今もホント俺が好きだな」
「…そりゃお互い様だろ」
唾液にまみれてツヤツヤとした唇を手の甲で拭いながら土方が笑みを返してくる。
それに誘われるように再び唇を寄せた高杉だったが、土方の手が面前に付き出され阻まれた。
「為兄の病院が先だ」
そう告げながら土方は付き出していた手を高杉の頬へと添え「それに」と言葉を続ける。
先ほどとは逆だなと思いつつ高杉が先を促すと土方は笑みを深めた。
「昔は為兄よりお前を優先してたからな」
どうやら土方は先ほど言いかけてやめた高杉の言葉をしっかりと理解していたらしい。
「やっぱり俺の誕生日に合わせて休みとってたんだな」
「盆休みに近い誕生日とか迷惑極まりないよな」
頬に添えていた手を離しきびすを返した土方だったが、黒髪から覗く耳がほんのり赤みを帯びている。
高杉はそれに頬を緩めながら、部屋を出ていこうとする土方の後に続いた。
「病院行く前に花屋で向日葵でも買っていくか?」
そう尋ねると先を歩く土方が足を止め振り返って首を傾げる。
「向日葵?昔の為兄が好きだった花だけど。よく覚えてるな」
「墓場に向日葵ってのが印象的でな」
高杉の言葉に小さく同意の声を漏らしつつ土方は正面を向き階下に繋がる階段へと進む。
「でも為兄、今でも向日葵好きなのか?」
「俺ぁ好きだって聞いたぜ」
「為兄から?」
「いや義姉さんに聞いた」
「ふーん」
気のないような返事をしてきた土方を高杉は背後から笑みを浮かべて見つめた。
「そりゃ可愛い弟が初めて育てた花だ。今でも特別なんだろうよ」
ガタッ。
その音とともに階段を一段踏み外して体勢を崩した土方の腕を取り、落ちないように支えてやりながら「危ねぇな」と声をかける。
「な、何で知ってんだよ」
「聞いたからな」
「それも義姉さんにか?」
「さぁ。どうだろな」
思った以上に土方からの反応を得られたことに笑みを深めながら高杉は階下へと足をつけ、居間へと向かって引き出しから車のキーを手に取った。
背後では土方が「義姉さんにも記憶があるのかな」と口にしながら首を傾げている。
土方は高杉がかつて為五郎の墓参りに行ったことや、そこで義姉にあったことも知らない。
そして墓の前で手を合わせられなかった高杉が何を思ったかも。
あれから墓を訪れることがなかったため、土方への思いを墓に向けて語ることもなかったが、今世でかつては決してできないと思っていたことができた。
それは土方を生涯幸せにすると為五郎に誓うことだ。
結婚の挨拶に向かうときは特にかつてのことをはっきり覚えていたわけではなかったが、挨拶を終え、為五郎の妻から「主人は今でも向日葵が好きなの」と声をかけられ、ようやくかつての気持ちがじわじわと胸に舞い戻って来る感じを味わった。
間違いなく為五郎もその妻もかつての記憶を持っているのであろう。
土方はかつての仲間である近藤や沖田にきちんと紹介できたことを凄く喜んでいたが、高杉は彼らよりも為五郎たちに土方と共に歩くのだと報告できたことを安堵した。
そんな高杉の気持ちを土方は知らないであろうが、特に知る必要もないと高杉はゆるりと笑みを浮かべる。
「なにブツブツ言ってんだ。さっさと行くぞ」
「え?あ、うん。なぁ高杉。向日葵のこと誰に聞いたんだ?」
「覚えてねぇって」
「嘘だ!その顔は絶対なんか隠してんだろ!」
突っかかってくる土方を軽くあしらいながら高杉は家を出て鍵を閉める。
土方が帰ってくる場所はここ以外どこもないということに、言いようのない充足感を高杉は感じるが、傍らに立つ土方は高杉の態度に不満を隠せない様子だった。
それすらも愛しく感じられる今の日々は特別なようで特別ではない。
今日は高杉の誕生日ではあるが、この幸福な日々は今日だけでなく、明日も明後日も生ある限り続く。
その証がここにある。
高杉は不機嫌そうな土方の左手をとってその薬指に軽く唇を落とした。
触れた金属の堅さが高杉と土方の幸福の印だ。
高杉が触れていた土方の手のひらに力が込められ握り返される。
「すぐそうやって誤魔化すとこが嫌ェだ」
「誤魔化してねぇよ。俺が今も昔もお前ェを好きだってことに変わりはねぇ」
そう高杉が耳元で囁くと土方は高杉の手の中から自身の手を引き抜いてプイッと顔を背ける。
「さっさと行くぞ。義姉さんも待ってるだろうし」
少し口調が早くなっていることに土方は気づいているのだろうか。
解りやすい照れ隠しに高杉は小さく笑いながら「そうだな」と同意を示し、運転席へと向かった。
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